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クッソ放置してたブログですがリハビリ的な投稿をまたまた。 写真編集も滞り、嫁からも「パソコン遅い(怒)私のノートパソコンのほうが早いよ!」と言われ、まだまだゲームも現役で動いていたし、なんやかんやで問題もなく動作しているからいいやと思っていたパソコンをようやく「あ、遅いんだ」っ...

2014年11月17日月曜日

なんだか怪しい。エラーのおきている時点が8月と10月と11月である。
またアップデートの仕業か。



それにしてもイベントログを見たら、毎日毎日こりもせずに電源系統の重大エラーが発生している。これは逆にすごい。
KB2949927がつい最近まで鎮座されていたので消したら今度はそれを消したことによってなんと気道不可能になるっていう落ちだったりしないのかと思いつつ、そうでないことを祈る。



2014 8月のアップデートでの不具合たち。




•2982791 [MS14-045]カーネル モード ドライバーのセキュリティ更新プログラムについて(2014年8月12日)
•2970228 Update to support the new currency symbol for the Russian ruble in Windows
•2975719 August 2014 update rollup for Windows RT 8.1, Windows 8.1, and Windows Server 2012 R2
•2975331 August 2014 update rollup for Windows RT, Windows 8, and Windows Server 2012



こいつらは、起動ができない状況になる。レジストリからはずさない限り直らなかった。


修正の仕方はこちら
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1408/18/news043.html



もっと戻って2014年4月のアップデートでも不具合たちがあった。

http://blogs.technet.com/b/msrc/archive/2013/04/11/kb2839011-released-to-address-security-bulletin-update-issue.aspx

 KB2839011をアンインストールしないと、こちらも起動ができなくなるコアなエラーなのだ。
後日修正版がインストールされているはずなのだが、古いバージョン、つまりMS13-036のバージョンで表示されているものは古いものなのでインストールすれば起動が楽になるかもしれない。

さて問題はここ最近の不具合だ。
これは10月のアップデートの不具合について。こちらはどちらかと言うとセキリュティハイリスクエラーだったが、


http://japan.cnet.com/news/service/35055380/

に書いてあるとおり、KB2949927を削除しなさいというご命令である。といっても、これはエラー自体が理解が難しいものなので、どんなふうになるかというと、これまた、起動ができない。起動中にBSoDが出るか、あるいはセキリュティエラーが起きてなぜか再起動が起こる。
ウイルスが~というよりもまずはパソコン事態に有害な反応が一気にぽんぽんと起こる。

11月の不具合もセキリュティえらーだったが、こちらは気付くのが早かったらしく日本でのエラーリスクのある人はほぼいないだろう。→11月修正パッチ

で、ここまでエラーやら不具合をポンポンだされてしまうとユーザーとしては困ったものであるが、この原因の究明までにPCがとまる中で作業をしないといけないので、昔みたいにコマンドを走らせるのにテープをグルグルまわして、走らせているときはBSEY状態になるっていうコンピューター状態だわな。

これ書いている途中で隣でデスクがとまっている。


そうそう、うちのデスクトップのおかしいところは、64ビットベースなのに、なぜかシステムのメインはx86ファイルからとられている。x64のほうには殆ど稼動しているシステムファイルがない。これはなぜだろう?
マイクロソフトの人たちも原因がわからないらしい。普通なら読み込まれるファイルは必ずといっていいほどx64とついているはずだという。カスタマーサポートの人たちもお手上げ状態になったらしい。


修復中にフリーズしてエラーってどこのLSI使っているんですか(笑)ってなるレベルなんだがな本当に。

Windows7が立ち上がりません・・・・

Win7が立ち上がらず、始めはハード面がだめかとおもっていたのだけれど、どうやら違う模様。

メモリエラーを確かめてもエラー検出なし。デフラグツールで検索しようとしておまだできてないのでわかららないが、ソフト面にエラー基があるのは明確だ。

あー、とりあえず俺の時間を返せ

2014年11月15日土曜日

矛盾のその先


その昔何物も突き通せない楯と何物も突き通すことのできる矛(なぎなたのさらに長く鋭利な槍のようなもの)を売っていたものがいた。あるひとはこの両者を付き合わせたらどのようになるのかを問うた。もちろん売人は答えることはできない。



これが矛盾のことわざなのだが、さて問題はこの先である。


本当にやってしまうとどうなのか。





たぶん答えは”矛の柄が折れる”


だろう。

結果的に突き通せなかったじゃないかという人もいるだろうが、誰も”一度で”とは言ってない。そこがこの突きあいのミソじゃないのだろうかと思うのだ。そして、これをいった子はもちろん実際にそれをさせたわけでもないし、ただのたとえ話なのだがそれを言っていないわけだ。
だから、実際にやるとなったら何度だって同じところを突けば良い話。それを無限回行うことができるのであればこの矛盾は成立する。制限があるのならば矛盾はもちろん成立しない。つまり解がでてきてしまう。

でも、その矛盾を成立させる無限回の試行によって柄が壊れる。だって木だもの。(○○○)




いや、もちろん子の”たとえ話”ということは分かっているけど、ほらね。融合するとかアホな話があったりとかするからどうしても書きたくなってしまった。

とりあえず本当の矛盾の話へのリンクおいときます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%9B%E7%9B%BE

2014年11月5日水曜日

ヤマノススメを少しだけ見ての感想

ところで、ヤマノススメというアニメがあるけれど、みなさんこれを見て山に登ろうと思うのだろう。まぁ登山=過酷とかいうイメージを払拭するにはちょうどいい話なんだけれど、実際に山を登るときに使う装備は最低でも7,8万を積まないと買えない。スニーカーでいける山もあるけれど、スニーカーで行くと残念なことになりやすい。

特に女の人は無理してそういう靴で上ろうとするわけだが、このアニメでは登山靴推奨している。ちなみにこの女の子たちが履いている靴は最低でも3万くらいします。(

原作に出てくる装備は割と軽装だけれど、ザックはすごくお金かかっている。12000円くらい。普通にフル装備をそろえると軽く1セット10~30万ほどかかるわけだけど、どうみてもゴアテックスとかそういうのがチラ見してくるので普通に20万くらいはかかっていると見た。

女の子たちの口から簡単に「縦走」とか「○○銀座」「走破」「下から」という言葉が出てくるところも面白い。日帰りペースで2000m、2500m級の山を上るとなるとそれはもう、ハァハァレベル以上のペースで上っているのですごいことともいえる。

まぁ、自分がのんびり登山がいいという考えなのでかもしれないけど。

まだアニメも原作も全話みていないのであれだけど、「そういう話もできるよね」とか「そういう見方もあるのか!」という目線で見たほうがいいと思う。お金的な意味でも、時間的ないみでも。

2014年10月30日木曜日

なかなか見れなかったシャーロックの第3シーズンを全部見た!


I watched The SHERLOCK Season 3 at last, because I Did't met that chance.


実はシーズン2放送開始のときに始めてこのシャーロックに出会って、第一シーズンを無料で見るまで知らなかった。
もちろん、テレビが部屋にない人にとって、こういうドラマシリーズを見ること自体がなかなかない。それおろかこれはBBC放送しているもので、それを見るということはかなわない。N○Kで特集されてた程度の情報しかしらない。
ニコ○コで一挙のときにシーズン1の第1話だけ見ることができた以来これを探していて、たまたまゲ○でDVD漁りしてたときに見かけて、揃うのを狙っていたのでもある。
そうそう、ネタバレになるからこれ以降は隠すよ。


そう、閉じる前に一言。







すげーーーーーーおもしろい



2014年8月4日月曜日

誰が楽しみにしろとか言うんだよあほか?
頑張ったことを総否定される予定がたったのに、生きてることまで否定されてうれしいならド変態だよ全く
なんで8月なんだよ意味わかんねとりあえずくる理由がないのになんで来るのかわからん
そんでもって要件が5分ですむなら5分ですませて帰ってくれと言いたいもう子れいしょうおれのせいかつにかかわらないてまくれないか
とりあえず、入力氏ね
不幸な未来が理解できるのに落ち着いて弁かこょうなんかで切るかぼけ誰の仕業だ?学校側の仕業だったら覚悟してほしいね腹立たしい

2014年7月31日木曜日

いつからか

最近欝です。
病院行こうかな

悩んでも相談する相手がいません。
相談しても単に話してるだけだから、相談してない
ちなみに、今回のもたぶん複合型の原因なので解決しません。糸賀からまってるみたいなもん。
引っ張るだけではだめ。
もしほどけても、楽になるだけ
人から頼られて答えられない自分が嫌いなんだけど、今は時間を巧く使えないからすごくつらい。
そして、どれくらい巧く使えないかって言うと、体を洗う時間が
もてないということかな。完全に洗わないわけではないけど、ひげ剃り忘れとかそういうのが重なる。次のレベルはゴミが捨てられなくなること。
ゴミが捨てられなくなると、自殺企図があるよ。たぶんビニールひもを切り始める。

でも、自殺に対する考えはこの前より願い事態は低い。
刺激を意図的に少なくしてるのはあるけど(人の落ち込むことを平気で言う先生とかには会わないとか)、それよりも直接死んだらやだって言われたのが強いと思う。
そういうのは実際言われても相手がわれてるとか、本音は死んで良いよごみぐずという目をしてたりと、まあ相談して結果的に言葉だけみたいなひとがおおいわけだから、効果無いことがほとんどなわけですよ。
それがなさそうな人から言われたから、考えが少ない可能性があるのです。
まぁ、もたてろん死んだことくらいは伝えたいので、離れてるから自殺したことを知らせることができないと、やだなぁと言う気持ちが強いだけだと思いますが。
なんかケータイからでは買きにくいのでこの辺で

2014年7月17日木曜日

鬱になると


ギャップがあるとつらい。だからギャップがないように笑わなくなる。
笑うとしんどい。楽しいことがつらい。
これがリズムの底ならいいのになぁ
好きなのに好きっていっても帰ってこない。単に「ばーか」
相手ははじめのほうだけ、しかも感性がマヒしてるお酒を飲んでいるときだけ「好き」っていってた。あとは「ドキドキする」とかそういうの。
俺って感性マヒさせないと好きになれないような人間なわけ?そうだわな。
前ならどうでもいい、とかおもっていたけど、たぶんこれはどうでもよくないことだったからココまで気になっているんだろう。まぁこれが最後とかおもってるわけだし。もう、後がない。そういう気持ち。
ケータイとかもみたくない。気になるから。がんばって顔を背けて勉強にむかっても、そもそもそれに力が行き過ぎてだめだった。
ちなみに今がんばっているけど、正直学校にも行きたくない。人の顔みたくないし。誰の顔も見たくない。そして誰の声も聴きたくない。左耳があかんなってから、正直耳が聞こえない恐怖みたいなのはあったけど、「ま、いっか」っておもったのはきっとそのせい。
なんでおかね払わせてまで花火みようとしてんだろ俺。ばかみたい。というかばかだな。ぜんぶ、やーめたしたいな。

2014年7月12日土曜日

耳栓っていいよね。


いま使っている耳栓、かなり相性よくて、かなり音をシャットアウトしてくれる。
入り心地とかもよくて超便利。

いやー、嫌なことがあるとこれ付けてるだけで安心できるってのもあるかも。本当に聞こえないわけじゃないから安心だしね。


まぁ、ちょっと緊張し始めると耳鳴りが起こるんだけどなれれば音のないほうが楽でいいよ。
はずしたとき音に敏感になるけど。


ってわけで、オススメの商品。


http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%A8%E3%82%B7%E6%97%85%E4%BA%BA%E5%B0%82%E7%A7%91-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B9%E4%BB%98%E3%81%8D%E8%80%B3%E6%A0%93-%E6%90%BA%E5%B8%AF%E3%81%AB%E4%BE%BF%E5%88%A9%E3%81%AA%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E4%BB%98%E3%81%8D%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B9%E4%BB%98%E5%B1%9E-MBZ-ALM-SL/dp/B00HR0SASU/ref=sr_1_111?ie=UTF8&qid=1405106274&sr=8-111&keywords=%E8%80%B3%E6%A0%93

2014年7月2日水曜日

トレ用

かなりふとった。前かがみがかなりきつい。
ココまで太ったら、正直自転車で長距離をガンガン走りするのはきびしい。力で漕がないといけないくらいにもなるし。
でも、力で漕ぐと膝とか腰がやられていく。そして、足がつりやすくなるのは力でやってるせい。
アレをするときと同じで、技でせねば。
足に筋肉がつきすぎると、足を高速で回しにくくなる。特に太ったときは腹がつっかえて前かがみが十分にとれず、足をしっかりとまわすだけのスペースがとりにくくなるのだ。だからストローク分のスペース確保のために最低限背中を長時間丸めることのできるポジションにしないといけなくなる。でもこれ、実は坂道でダンシングするのがつらくなる。前にオフセットしすぎるとサドルがダンシングのストッパーになりやすく、余計ガニ股で漕ぐことになり余分なエネルギーの消費につながる。まぁ、痩せるだけならいいんだがこれではおでぶさんからするとただの体力消耗に。なので、坂道を極力避けるか、ハンドル高を上げて、ブラケットを持ったままでほとんど姿勢が立つようなポジションにしていく。すると、ストロークがきれいになり、回転を維持したまま坂道を漕げるようになる。もちろん、クライマーと比べてはいけない。
思いっきり駆け上がるようなときはどんな姿勢であろうが、兎に角体をひきつける必要が出てくるのは確かなので、そのときは筋肉を思う存分に使う。でも、これはマラソンの最後のスパートをかけるようなもんなので、長距離をいきたいときは使っちゃダメ。
もちろん、がんがんこいで余裕なひとはやっていいとおもうが、半年以上まともにのっていないというのであればもちろん、やらないほうがいいだろう。
で、僕を含め太っている人が高回転トレをするときは、普通の高回転トレをしても単純に息と心拍が上がりすぎて短距離走なみのことしかできなくなる。だから、心拍数を適度にあげる必要があるのだが・・・・実は太っている状態では心拍数120というのは割かしきついのである。それよか、120を超えるとキープがしづらく、150、180...と危険値まで簡単にポンと上がるのだ。
もちろんそんなの長続きするわけがない。なぜかっていうと足の筋肉が太った体重を支えるのに発達して、すぐに血圧が上昇。血管は弛緩して血圧を下げようとするけども、交感神経優位になってくるので...と専門的なことを掻いても仕方ないので、もっと簡単にいうと、筋肉よく動く→血がよく帰ってくる→おかげでキープできない→アップアップになるというわけ。
ケイデンスを120でキープさせるとき、太っている人は120くらいでキープできていればいいんじゃないかとおもわれる。そしてこのとき呼吸が安定しているなら、もうすでに腹式呼吸をしているため、痩せる準備が整っているのだ。
もちろん、できるだけ膝に負担をかけないように、そして機材に負担をかけないように、なるだけクランクはイン側にギアを落して、リアで調節させていくのが懸命となってくる。まぁ、一番いいのは平地ではほとんどギアを変えないような走りなんだけど、これができるなら別に痩せる努力はしなくていいわけで。
でも、エアロポジションでギアを扱えるバーコンを使おうとすると、割と高い機材を使わないといけないんだよね...
それが本当にネック。しかもいまはそのグレードってDi(電導モデル)しかないから、最低24時間に1度充電、夏場だと8時間に一度といううわさも..をしないと。
つって、痩せるために本番の道を走るのは何か違う気がするけどねw
あー早くトレーニング開始しないとー!
と課題から抜けたとたんいろいろたくらんでいる様子であった。

2014年6月30日月曜日

イラァ

さすがに限界もある。

人前で言っていいことの限界値は割かし低いとおもう。
それを乗り越えて感情に訴えかけるのは簡単だが、もちろん逆なでするのも簡単なわけだ。


つまるところ、逆なでされたような気分になっているわけだが、理由なんてものはしょーもない。限界値が低かっただけのことなので、悪気はないのかもしれない。


とかくウザくて無駄授業をやっていると評判のあの教授のことだが、今回は
イライラしていただけだったので、スルースキル発動してもよかった。なでなければ。なでてきたらするーするわけにもいかない。かってにほぞんされる野で変換がうまくいかないのだが気にしないように。


残念ながら積もっていたストレスが爆発しかけたといっておく。連投してるのからわかるようにフラストレーションがたまりすぎていて仕方がないのだ。だいたい野問題点として、あの世代は人へのかかわり方というのが一番雑な世代である。簡単に言えば一番察せない人たちが集まっている。よかったのかわるかったのか、その後の廊下で悪態をつきまくったおかげデイライラしているところまでは復活し、内容までは思い出さないようにと脳みその昨日をシャットダウンしようとしている。
ああ、ねむい


イラァとしたのはいいが忘れてしまってはしかたない。もういいや。なんか今日は鬱みたいな状態じゃないし、まぁいいや って思えるだけいっかな。

感情鈍麻ってのは

そうそう。忘れていた
鬱っていうのの病状のひとつに感情鈍麻ってのがある。
鈍くなるんだ。
たとえば親しい人が死んだとする。「ああ、死んだ」たったこれだけの感情しか出ない。なきたくてもなけない。つらくなろうとしても、これ以上つらくなれない。うれしくも、かなしくも、なーんともない。ただの流れ。喪失することの意味が別のところにあるような感覚なのだ。
怒りも反感も、表出することはほとんどない。だから「死ね」とか言う言葉を使われた日には、大体死ぬ一歩手前にもなる。恐怖も怒りも憤りもないから、反抗しない。命令に従う。目の前の予定を完遂しようとする。たとえば無理な注文でも感情鈍麻になっていると、断ることはできない。そもそも本質的に断れない人が多いんだが、脅迫感が一切ないたのみごとでもその人にとっては目標になる。
自分を突き動かすためには目標が必要となるが、できるだけ実現可能性の高いものであればあるほどその目標に対する補足度は上がる。もちろん質問は一切なし。言われたことだけをやる。感情鈍麻になっている人が「死んだほうがいいですよね」とか言い出したとき、それは彼が楽になりたいからとか、逃げたいからというのではなく、”実現可能性の高い”目標の一つであるからだ。必死で止めなければ大体数日中にやらかす。
必死で止めると、まぁだいたい6割はとまるんじゃないだろうか。
鈍麻状態になっている人が考えるプロセスは簡単にいうと、直結型の思考プロセスになる。「自分」を排除した作業域には”時間”と”達成チェックポイント”と”ゴール”がある。スタート地点は同じ。そこから一番早く目標を達成するかという思考プロセスであるといっても寡言ではない。
目標はゴールになるが、これを説明するとしたら・・・・うつ病を患っている人が工場で単純作業をやっていました。その人は目の前の完成している製品の入ったケースを、左手20mのところにある別のライン(A)に運ぼうとしています。安全に運ぶためには右手10mほどのところ(B)にある台車を持ってくるほうがいいでしょう。ケースの高さは1m程度。持ち上げると目の前が見えません。ヨコに歩けば簡単ですが、足元にはグラインダーや電導ドリル、かなどこ、坩堝などの危険物がさまざま。ポートカーなどが往来する場所でもあります。察しているひとは多いと思いますが、この人はわざわざBには行きません。Aに直接もっていきます。これにってアクシデントが起こるわけです。
一般の人ならインシデントを起こさないために台車をとりにいったり、周りの整理をしたりしますが、鬱の人は、Aにさっさともっていく ということしか頭にないのです。事故で犠牲になる”自分”への認識が薄まり、恐怖という感情が無くなっている鬱状態のときは、常に自分を意識する必要があるというわけ。
さて、人生についてだが、達成チェックポイントが少ないのは「生きること」と「死ぬこと」のどっちが多いだろうか。もちろん愚問だが、生きることのほうがつらい。だからこそ、鬱の人にたいして「死ぬ」という選択肢の危うさを心を受け止めながら諭す必要があるのだ。
と、だれもこのことを理解したうえで話を聴いてくれないし相談にも乗ってくれないし、相談したとしても一切受け付けられないのでここでかくのであった。HAHAHA
感情鈍麻のプロセスがわかっただろうか
フェイスブックに乗せたら総批判食らうだろうからあそこには書かない。
ってことでここにわーーっと書こう。
とりあえず、一言先に言うと、ひとつだけ気に食わない授業が学校で入っている。
正直言って、8コマ分無駄な授業をさせられている。いや、単に無駄という意味ではない。
有意義に使えるはずの時間の一部がそのコマにとられているせいで、前の日から数えて8コマ連続で授業がある。コレは何を意味するのか。それは印刷の時間がないという答えになる。
グラフまで作って家で印刷しようとすると、基本的に朝の7時8時からになる。ウチの印刷機は遅い。きれいだが。遅い。
学校のは白黒であるため、わかりにくい。だが、学校ではパソコンは基本的に取り合いになる。つまり、印刷は不可能というわけである。それなのに、その有意義に印刷に使うための時間が、そのコマに撮られている。授業の内容に入る前にこのことを書いたのは、もちろん授業の内容が非常に、それはもうSillyで、どうしようもない。
まだこれだったら、この時間をアルバイトでもしたほうがお金にもなるし、ある意味で勉強になる。この授業のためにレポートをいちいちかいて、起きている必要があるというのか。もちろんのことである。
ココで習うのはいわゆる社会の常識。
あまりにも扱いがひどいのではないだろうか。しかも学校側は、この授業を4年間通してやろうとしている。あまりにもBoolsitな話だ。何がおかしいか。別に学外から来ている講師のことを批判するつもりはない。立派にいろいろな人に教えてきたのであろう。この授業の内容で教える内容については、簡単に言うならば「働く」ことに対する意欲や向上心を持たせるための授業なのだ。我々のように働くことをいわばほぼ保障されている人たちが、資格を取った後働かなくなるのは惜しいという考えからだろうが、この授業をやったとしても、その意識は一切といっていいほど変わらないだろう。逆に言うならば、この授業をやることで働くことに対する意欲が減少することもある。「なぜこのようなことを学んでまで働く必要があるのか」と。社会の常識だから知っておく必要があるんだよというのであれば、病院で最低限知っておいたほうがいい知識を与えていくほうがまだマシなのではなかろうか。ラウンド時の受け持ちとか、BSを測るときにさっさとやる方法とか、電話対応時にどうするかとかだ。
よっぽど対応力がつく。
なんせ、毎回レポートを書かされているわけだが、言葉を書くことがさらにましていやになってきたのだから仕方がない。これはもちろん自分の正確もあるし、ほかの人はどうかわからん。これだけは確実にいえるというのはみんな「楽しくない」「楽しみでない」「早く終われ」とおもっていることだろう。この授業に対して何も考えていない人も多く、この授業中にほかの事をしている人のほうが圧倒的に多い。俺は絶対にそういうことができない性分だから、みんなと違って進みも遅い。
だから俺はこの授業が大嫌いなのである。4年生にもなってこの授業のためにテストがひとつ増えることを考えると、さらに頭の痛い話だ。
看護について研究ができるというのに、なぜこのようなことをせにゃならんのだとなり、最終的に興味までそがれそうで、厭々受けているという現状。

あー


つまらんな。ほんまに

2014年6月22日日曜日

夏のよていち

さて、結局寝れずに頭蓋内興奮がおちつきまして、ちょうどいいあんばいになったころなので、時期尚早ですが、夏休みの計画をたてることにしますた。
東京あたりに今年は何回か出没しようかなと。あと、大阪方面、京都方面にも出る予定。
三重→東京のリベンジというか、のこしてきてしまった静岡→東京編をクリアしないと。
またたろさんにもあいたいなぁ。
ハニーにもあいたいし、もひとりのお友達にもあいたいし。いやそれがメインとかいえないけど。

兎に角、人の輸送費より荷物の輸送費がかかるかも・・・というのが難点。郵便局とどめで受け取ろうか・・・
ヤマト便で、160kgぶんの容積換算重量による価格となる。(コレ重要


だいたいバイク1台3600円(三重→東京)。外を見て運んでくれるかどうかはしらん。もちろんついでに言うと、中身は思いっきりしっかりとした包装しないとね。あ、もちろん箱にいれないといけない・・・?箱にいれると、+20Kgぶんされて4000円分くらいになる。まぁ、箱が8kgもあるんじゃぁね・・・ってことで意外と重たいことがわかったのだった。中にザックか何かいれておいて、1~2週間分の服でもつめこんでおけば、高速バス代くらいの値段になるし、1.5回分の往復をしたってことになるからいっか。



てか、バイクをシーコンのバイクケースにつっこんで、バスに黙って運べば・・・・
あ、高速バスは受け入れてくれそうにないな。いつもどうせ貨物スペースガラアキなのに・・・
ということで、夏の予定は決まった(おい

これくらい完全にいきを抜かないと、ちょっとやってらんない・・・・というか、勉強するにしてもやせないとどうしようもないや。北海道に飛ばすときが一番めんどうだなぁ。

だんだん波のサイクルが早くなってきた。いいかんじなのかまだわからん。今日のバイト如何によっては、このままずるずると・・・いや、そんなことはない。みてないようだから書いちゃうけど、単純に、あのシリコンブレスレットつけてるかなーとかいうすごい小さい悩みがあったのだけは覚えているんだけど、この一週間のイライラが結局落ち着くころにはこんなふうに未来的な思考に変わってる。(のかな?)

2014年6月21日土曜日

個人的メモ

・何もできていないことにイライラしている。
・面倒くさい
・さらにイライラする
・時々何にイライラしているかわからないけど、イライラしている
・目をつぶると首をつる姿が目に浮かぶ。
・目をつぶるといろんなシチュエーションで首をつっている
・何も考えられない
・感情が出ない
・無意識に歯を食いしばっている
・目を開けているとどうでもいいことが頭をめぐる。
・眠いけど寝るのがいやだ

生きるってやっぱりつらいねぇ。

劣等感ばっかりかんじているひとからすると、大体生きていることがつらいときがある。
そゆときは誰かにそばにいてほしいんだけど、基本的には近くには誰もいないことが多い。
生きるっていうのは、考えを変えると死に方である。
どんな風な死に方をするか。もちろん一人で、誰かが片付けるのだが、嫌々片付けられるか、屍をそっと抱き上げてくれる、あるいは花いっぱいの棺のなかに骨が埋められるか、それはあなたの選択しだいだろう。
生きているときがつらいとき、俺はよく・・・具体的に言えば、10分間勉強の手が進まなかったり、幸せな時間をすごしていてふと気がついたとき、悶々とすごしているときは常に死にたくなる。
とりあえず、今すぐ楽になりたい。楽に慣れるかはしらないけれど、自分自身の生命活動を停止させて冷たくなりたいと考える。
そのときは大体8割くらい、現実的な状況を考える。目の前に課題があるとか、目の前の幸せを逃したくないとか、来年はあれがあるだの、奨学金をかりているからだの。そんなことで思いとどめられる。後の人が”困るから”という理由だからだ。
つまり、自分の生き方は、一番最後に誰にも迷惑がかからなくなったとき、あるいは最低限の迷惑しかかからなくなったときに”死”を選んで生命活動に終止符を打つ。そうきめている。言い換えるならばそういう生き方となったときにだ。大体自殺をするひとの部屋はきれいだ。あるいはその人なりに片付けてある。
片付ける合間に次の日になって死に切れなかった人もなかにはいる。俺がそうとかいえないが。
という前おきはもう置かれたのでいいとして、劣等感というのはいつかんじるかわからない恐怖がある。正直、あとから思い返せば、考え方を変えるだけで異なるふうになるのにもかかわらず、感じる。
抑うつ状態であるときは特に劣等感を感じやすく、被害妄想的になりやすい。ここまでわかっているのに、精神が安定しないときは困る。
もちろん片付ける気力もなくなってしまうのでずるずると生きる。たとえロープがあっても片づけが優先だ。(どうしてかはわからない)
もしも、部屋の中に何もない状態、かつ借金とかも一切ない状態で劣等感を感じてしまったら、残念ながら統計上で3万人弱いる自殺者の一人になる。楽しませられない人だとか、会話が浮かばないとか、時間を使わせてしまっているとか、勉強ができないとか、細かいことで言えば、あ、いま話をさえぎってしまった。あ、勘違いしてしまった、あ、思い出せない・・・日付間違えた・・・全部に劣等感を感じるのだ。
体がおもうように動かない状態にも常にイライラしている。やりたいことができないように、その劣等感を感じなくさせることもできない。すこし脳の反応が良くなってきて、脳神経細胞の興奮が賦活してくると、そのような考えが少し少なくなり、持ち上がってきた状態になるとやっと自分の死に方を思い出す。ああ、そうだったと。
そして目の前の課題に取り組むために”生きる”のだ。
俺は、そうなるのを知っているから、落ち込みはじめから落ち込んでいるじょうたいでは、決断をしない。できるというわけでもないが。
だから常にあの時なんで死ななかったんだろうとか、タイミングを逃した・・・と感じ続ける。だけどいいのだ。決断ができないのはいつものことだから。
おもうような死に方ができないのならあえて決断を下す必要はない。生きることはしに続けることとは違うから、理想の死のためにつらいとかんじながらも生き続ける。



さっ、勉強の続きやろ。頭の中は2割くらい出せたきがする。同じ悩みを持っている人が見つけられたらいいけれど。

2014年5月24日土曜日

失敗が続くと

人間だけでなくたいていの動物は失敗から学ぶことができる。これを学習と呼ぶ。人間は失敗を予測して行動を行える現在のところ唯一の動物である。その上でもわざと予測されている失敗に対してある程度の対策をしつつ、避けられない失敗を経験し、更なる対策法を学ぶことができるのである。
失敗という出来事そのものは非常に大切ということがわかる。
ここで、「失敗にもめげず」という言葉を出してみよう。
この言葉は更なる対策法を見出すために失敗を重ねても底から学びとろうという非常に前向きな言葉である。同じ失敗に対していろいろな索を練りつつ重なる失敗に対して非常に有効な言葉なのだ。ここで言われる失敗は、傍目から見れば同じ失敗なのだが、本人の中では同じ失敗は二度とないという意識が持てている。
これが、同じ失敗だと認識してしまうことが起きると、とたんに人間の心は折れてしまう。
同じ場面、さけることのできない場面において、失敗が起きると、「もう二度とするか」とおもう。だが、人間その結果は覚えていてもその過程についてのインパクトが少ない。さらに言うならば、その場面になってはじめて気がつく程度まで過程はその人にとって重要でないという認識がなされてしまう。
「失敗した」という結果を強く評価しすぎ、その評価内容ではなくさらにその評価の結果を記憶してしまい、結局過程について認識が欠如しがちとなるのだ。
これは人のコーピング能力を下げてしまい、結果として経験による学習そのものが失われるのだ。
そのため、何かしら同じような失敗を繰り返してしまっている人、そうおもっている人がいれば、その人にとって自分自身の回顧そのものが強化因子とはならず、内部因子として影響されてしまうのである。
それに気がついた時点で周りがどう行動するかや、自己的な変化がなされなければ結局悪い方向に流れることとなる。

2014年5月21日水曜日

先生ほど

学校の先生という立場ほど雑なことを雑談で話しても責任を持たなくて良い職業はないだろう。
特に、大学付教授であればなおさらなのではないだろうか。政治家などがパーティーでアイスブレーキング用にスピーチをすると、その内容は全国紙レベルで批判されることが多い。安部総理しかり福田さんしかり麻生さんしかりである。

完全に内輪の話となってしまうのであるが、A教授の授業があった。その授業は新カリキュラムに合わせたもので、うまい具合のつながりがなく、位置づけが微妙であり教授自身も乗り気ではなかった。そのためかAの雑談が多い。もともと話をすすめるためであったり、寝ている人を起こすために雑談をする場合が多いのだが、今回の話はとある統計ソフトの説明で、危険率の話があったときだった。
株をやっている知り合いがいて、なおかつ株をやり続けている親がいるそうだった。
まぁ、落ち着けたかった場所は「株をしている人はリスクを見極めるために会社の全てを知っておく必要があるんだ」というところだったらしい。
そこで出てきたのはパソコンの話。
「パソコンの画面を3つならべてさ、パソコンも3台あるんだよ」ということであった。さて、パソコンを3台つかっていったいなにをするのだろうか。マーケット監視用というだけであれば、1台のパソコンに3枚の画面があれば十分である。(一般的なトレードソフトの場合)
パソコン3台?画面が独立しているならマウスムーブは相当やりにくいし、HIの切り替えがめんどうだろうに・・・・と少しでもそういう情態のパソコンを触ったことのあるひとならわかるであろう。

そしてそもそも、毎日トレードしているという時点でただのデイトレである。
デイトレさんたちには悪いが、取引している会社の事情を全て知り尽くしている人はほぼいない。証券会社ですら調査部門の人間でない限りほとんど情報として扱うことはできないだろう。親がやっている株っていうのは昔ながらの信用取引系のトレードということなので、デイトレのようなハイリスクの取引を行っているわけではないため、あえてパソコンの話をそこで持ってこないほうが着地点にスマートにいけたと考えられる。

そのときにB君にAが同意を求めたため話がさらに進んでしまったのだった。
Bは「俺のツレにもいるんすけど、部屋がパソコンだらけになってましたね」

ここで、多少理解できる人はいるかもしれない。
「この二人のなかでは モニタ=パソコン」という認識なのではないかと。
ちなみにここでいうとAは情報系の教授なのである。わざとでもない限り、モニタのことをパソコンといってはならないのではないだろうか。
そして、株取引について一般的なことを語るのならば、デイトレと個人取引の違いを踏まえたうえでしゃべってほしかった。あともうひとつ。わからない話を引き伸ばすのはやめてください。

そんなかんじでテキトーなことを話されてしまったことを長文でつぶやくのであった

2014年5月14日水曜日

ロードバイクと旅行

主に自転車乗りにとってはロードバイクと旅行はきっても切り離せない。

移動手段としての自転車であり、またその移動を妨げるのも自転車である。

一見不可解なことではあるが、実は本当なのである。

一般的な生活を送っているものであれば、長期休暇をどうやってとったとしても、最後にはどうしても時間制限がついてまわる。自転車・・・ここではロードバイクに主にしてしゃべるのだが、コレにのっているときは基本的に移動手段として利用している。
この移動手段であるロードバイクが足を引っ張るのである。
これが家が近いのならいいだろう。自転車にのって全力疾走すればどうにかなる。しかし、家が遠く離れていて、さすがにどうしようもないとき。あるいはキャノンボールに大失敗して目的地に到着しても帰る体力・時間がないときである。
この場合、輪行という手段をとらざるを得ない。
そのときにロードバイクは邪魔者扱いを受ける。特に日本では、そのようなものに対応をするような交通機関が電車しかなく、その電車でも非常に邪魔者となる。そして、なにより荷物となる輪行袋を持っていなければ入ることすらできないのである。
では、持っていないときはどうするか。
以前であればゴミ袋にできるだけコンパクトにした上で入れていた。しかし、ゴミを電車で運ぶのはマナー違反である。其れと同様に、ゴミ袋に自転車を入れて運ぶのもマナー違反となってきている。
つまり最終的には自転車は運べないということである。
ではどうするか?


自力で帰宅できないときの最終手段は、ヤマトに頼むことである。
ヤマトでは梱包サービスはないものの、梱包した自転車を運んでくれるサービスがある。もちろん人はおいてけぼりなので自分は自力で帰るしかない。
つまり、ヤマトの営業所まで梱包した上で持っていくのが最良手段ともいえる。

旅行をする手段に自転車を選ぶときは、キャノンボールのような旅行ではなくゆったりとした日程を組んだ上で、最悪どうするかを決定する必要もあるのだろう。そうではければ自転車に縛られる旅行になる。そういう意味で切り離すことができないのだ。

2014年4月29日火曜日

トラウマ・・・心理的なほうの

俺は恋愛に対してトラウマが多い。
振られた経験よりも、音信不通系が多いからだ。
残念ながら、その経験は出会った異性に対して「この人は最後まで連絡を取ってきっちりと別れを告げてくれるだろうか」と疑問を投げかけてくれる。

さて、今回は、そんな疑問を一気に通り越して、バカみたいに先走った一人の男の話である。注意したいのはこれが現在進行形であり、さらに残念度が増すことになるのかもしれない。

それでは本編である。
あるSNSでけっこう適当に返信をおくり、特定の人以外にも適当に送る毎日が続いていた。そんな中、突然DMがあり、返信で優しい言葉がけをしてくれるということで話をしたいということがあった。
もちろん、快諾する。ネットではこういう接点を保つことはひとつのモチベにもなるのである。
これがことの始まりだった。

はじめは彼はどうせ一瞬どうせ一瞬という気持ちをもっているのだった。ここで彼がどうしてこんなことを考えているかという経緯についてだが、それは上記にある振出から察していただきたい。
その一瞬というには長い時間はなし、けっこうあうことがわかった。一時して、実は期間限定でイベントがあるということで、最終ラップくらいの情態だったのだ。早速案内を頼み彼が一路東京に向かうと、カメラなどを通してみていた女性の姿は想像以上にきれいで、その様子はかわいらしかった。そして、話までしっかりとあってしまう。
彼は直感でおもってしまったのだ。
運命...
ドラマや小説などでしかお目にかかれない展開のものだったが、感じてしまったのだった。彼女はというと「好き」という言葉を使っていてくれるものの、もっと「好き」な人は大勢いる。その中でも皮膚をふれあってもいいと思ってくれている中に入っているとまで教えてくれていた。二回目はお泊りに来てくれる番だった。彼女も彼も抱擁を求めていた。それが彼にとってはある意味でスイッチだったのだろう。
生理的に反応をしてしまっていた。そして、事を起こした。
それは彼女にとってもわだかまりとなった。帰って一日目で別の人と触れ合った。そして、彼に報告をし、「やっぱりあのときのことも後悔している」といったのだった。そして、「今日はいっぱい否定したのに、それでもキスをされたのだ」という。その日はそれ以上話をするのを否定されてしまった。
これ以上言い出せない。
そして、彼女は夜遅く家に帰り、机で寝息を立てて寝てしまった。「やっぱり嫌いになってもらったほうがよかったのかなぁ」と言い残して。
その日の天気は妙な涼しさの空気をたたえた雲がぶあつく広がっていて、その雲から雨がポツリポツリとふり、しとしとと途絶えることなく振っていたのだった。

2014年3月27日木曜日

親の身勝手さにはあきれた。

親から学んだこと。これは、人生に対して大きな影響を与えるもののひとつだ。
俺は、親から学んだことは「人の怒らし方」を学んだ。
学んだというかかってに会得してしまった。
一つ目は腹のたつ笑い方。
もうひとつは上から目線でしか頼めない
さらにもうひとつ、短気。

この三大要素を学んで、人生で損しかしていない。
ふとしたときにそういうのが出てくるのが一番の欠点で、自然に出ることからも、本質として存在してしまっている。
親のせいであることはひとつもないとか、
其れは全部自分のせいだというひともいるだろう。だが、それは同じ境遇にたってから初めて言える話である。同じ境遇なんて存在しないのに否定からしか語れない人間は、何かが狂っている。自分の人生をいちど振り返ってみるといいのではないだろうか。

子供の能力を全否定してそれがいいことだとかんじているのなら、なおさら子供を育てないほうがいい。もうあまり昔のことを掘り返しだすときりがないので最近のことだけに集中したとしても、たとえば「できないのに大学なんていってどうするのか」この一言は今でもストレスになっている。
はっきりいってテスト勉強中にこれを思い出した日には勉強どころの騒ぎではない。鬱の始まりだ。
勝手に涙は出てくるし、勝手に落ち込むし、勝手に頭がはたらかなくなる。何も考えないようにするためにはどうするか・・・なにも考えないようにするともっと頭の中で反響するようになる。勉強なんて集中すらできない。(しゅうちゅうを変換すると皺柱になるからもう第一変換オンリーにする)
ペンを持つ力さえ抜けるような状況にまでなっているのに、親はきづくことはさらさらない。その状況を理解しない。やれそこからは罵声大会のはじまりである。罵詈雑言の嵐と共にさて学び取ることはなにか。短気なことと人の起こらせ方を学ぶわけだ。
いったいどうしたらこんなに短気になれるのかがわからないくらい短期になる。文字を一文字一文字書くたびに、やるきの減少とともにフラストレーションが倍数的に増える。
ただでさえ、4年間だけしか払わないといっていたのが、もう払わないといってみたり、おまえの生活費は自分で払えといってみたり、月2万で、前後期の教科書代を自腹で払えといってみたりして、ただでさえ胃に穴が開きそうなほどストレスがたまっているのにである。
それで勉強に皺柱しろというのがなにかおかしなはなしではないのか。
畑が違う人がよその畑のひとにたいして、作物が違うのにもかかわらずどうして今種をまいているのかを説教してまわるのとおなじだ。お前の畑で育てているのは春野菜で、こっちでそだてているのは秋野菜なのにもかかわらずだ。俺は肥料をやらずに育てているのに肥料をやるのはなんでだおかしいだろと文句を散々いって、その肥料を全部捨ててみたり、そんなことをしたのになんで肥料をやらなくなったんだかれてしまうだろうといってまわるのとおなじ。
そんなのの息子ができるわけがないだろう。
そんなふうにしろと育てられたら勉強ができるようになるのかと。

コンバインで耕すような場所を全部一人で耕せっていっているのに、コンバインと同じ時間で作業することを求めているというのを気づきもしないのは、本当に親なのかと。
親である以前に人であることを求めていないならはじめから子供なんてつくらなければよかったんんじゃないか?
そもそもメンテナンスフリーの機会がひつようだとかんがえているのなら、はじめから其れを目当てに生活すればよいことだろう。



人は身勝手であってもそれを他人に強要することが必要なのか?



身近な他人は家族というのに、その家族にそれを強要するのなら、まず自分が変わるしかないんじゃないか?


子供の癖してという言葉があるが、はっきりいってこれは親の癖してというのが妥当だろ。
親が真っ当な生き方をしているというのであれば、その背中を見て子供があこがれるだろうが、
お前は真っ当な生き方だったか?子供が背中を見てあこがれるような背中だったか?
あこがれるような説明をしてきたか?
なぁ、俺はおまえを親とは認めたくないが、世間様は親だと言い張る。
なにをするにしても保護者として、保証人としての役目があるんだとさ。


たのむから、もうこれ以上邪魔をしないでくれ。
たのむから、もうこれから邪魔をしないでくれ。
たのむから、たのむから、俺の中からお前の記憶を消し去る時間を与えてくれ。
身勝手な言葉の応酬と、身勝手な行為にはもう飽きたんだ。
もう十分邪魔して気が済んだろ。 もう休めよ。

2014年3月13日木曜日

久々の更新です。

皆さんはベルベット・キスというコミック作品をご存知だろうか。
すまない。皆さんではない。
青年域である人たちと、その手のことに興味のある人たちだけに絞る話になってしまう。
結論を先に言う。
レビューよ、本当にありがとう。


結論がそれかよという突っ込みは口の中に押し戻して胃の中で消化していただくとして、この作品は簡単にあらすじを、ざっくりとさらっと話すと、新人会社員にツキが回ってきて人生ばら色となるはずだったのが、多額の借金の保証人となってしまっていた。で、借金チャラにしてもいいよっていう代わりに社長の娘と「友人」になれよと。その娘が無表情でサドッ気があったビッチで、友達も成金族ばかり。もちろん、カネが有り余ってる友達の中に借金抱えたままで居座らされるのは心地が悪く、反論したり、どうせ上辺だけなんだからといってみたりして自己嫌悪する主人公。で、この主人公にいろいろと開発されることにより、表情がゆたかになった。もちろんカネのための付き合いと考えてた主人公が社長代理が手薬練を引く策略の渦にはまっていたということで、会社関係も友人関係もズタボロに。そこからのどんでん返しと、その娘の裏がたった数ページで語られるというエロシーンをすっ飛ばしてあらすじを理解しようと必死になってしまう。

ちなみに、どれくらいエロ要素があるかっていうと、ヤってる描写がだいたい1話に対して2回。それ以上のことも。
実際の会社員がこんなに女遊びができるわけがないんだが、それはおいておくとして。
はっきりいって、エロシーンがおまけ。本編は完全にキモチをわかってあげられない主人公と、その主人公の気持ちが痛いほどわかる状況になってしまうほど主人公が貧窮、疲弊していく姿が描かれている。その中でも無表情で、世間に関心がなかったお嬢様がいろいろと変わって行くのは斬新で面白い。
もちろん、最近の作品に良く見られるパンチラ、パンモロじゃなくて、普通にそのへんで夜のボクシングをしてしまうのが逆に清清しい。パンチラパンモロにするくらいならそういうのがないとダメなんだよって今の作者に教えたい。

そして、全4巻のこの作品だが、意外とサラット読めてしまう。エロシーンが多いのだがなぜかエロに集中できない。エロよりもこの物語としての全体像をはやく理解したいという気持ちが出てくる。
それがページを開くのを加速させてゆく。
最近のドラマで言えば半沢並(いやそれ以上だ)のどんでん返しがおこるのだが、いかんせんエロが多いのでなんともしがたい。
けれど、重要なのはエロのシーンでもある。エロというよりただのヘンタイプレイ集なのだが、プレイの内容ではなく、会話が重要なのだ。そしてその会話とその態度の変化が背景描写につながっていることがエロシーンのなかで抽出すべき重要な場面である。
エロがいやだからといって読み飛ばすことはできないが、絵に集中することもできないのである。(いじらしい)

と、勝手に評価をしてから結論に至る経緯に移る。

レビューというのはその人個人個人の想いや感想などがあり、内容をある程度言及してしまっていたり、妙にキャラに感情移入してみたり、製品であれば、不具合がどうのや、すばらしいの一点張りで第三者視点のレビューは砂の中の一粒にすぎない。
ましてや的確なアドバイスや使い方、読み方、どうして自分が薦めるかなどが詳しく・かつ的確に短い文章で書いているものなどはあってないようなものだ。
今回のレビューで一番参考になったのは、”私はメインの登場人物たちの関係を純情だと考える!”とはっきりと書いてあるレビューだった。(これは私がレビューを読んで理解した意味だが)
一般の人なら、だいたい1巻を読んだときにおもうのは、「なんだただビッチの相手をしろっていうことか」という感想だろう。実際そうなのだろうが、この娘はただのビッチではないのだ。それは3巻まで読むとわかってくる。
それを購入する前のレビューから、ビッチ系エロ本に対して”純情”という似合わないことが書いてあるのだ。純情といったらなかなか伝えられない想いとか、相思相愛なのにうまくいっていないだとか、そういう話だろうと。
本を買ってみると吃驚仰天レベルでビッチだから、それを確認するまで読んでしまう。―そして確信した。
「この本はたしかに純情だ」

次の一言がこれである
「このレビューは仕事をしている。すばらしい。こんなに読みたくなってしまうレビューはなかなかない。レビューよ、本当にありがとう。」

2014年3月5日水曜日

交通事故と疾患

私たちの生活中ではさまざまな交通事故が起こっている。
居眠り運転だったり飲酒運転だったりわき見運転だったり、原因はさまざまなわけだが、今最も騒がれている事故は宮城交通バス追突事故だろう。
今回注目するのはこのバス事故についてである。

現在、労働災害としてみとめられている交通事故はこんなかんじ。

 

注釈
A:道路旅客(ハイヤー、タクシー、バス業、その他旅客)
B:道路貨物輸送(一般貨物、特定貨物、貨物軽自動車、その他交通輸送を除く)
道路上での交通事故:業種・事故型より抜き出し(交通事故(道路)+交通事故(その他))
また、統計上交通事故原因に、自己疾患や疾患別事故量が記録されていないため、その他原因として、その他起因物+起因物+分類不能から引き出した。こちらに疾患などの原因が含まれると考えられる。
(つまり、全てが疾患原因というわけではない。)

 
労働災害での交通事故は6割近くが死亡していることがわかかる。
労働災害と認められた交通事故も多く存在していることがわかる。
 
今回の事案のような疾患が原因ではないかという話は良く聞く問題である。
 
”第3回交通科学シンポジウム(2008・2・15)
国土交通省自動車交通局安全政策課資料より
運転者の疾病により事業用自動車の運転を継続することが出来なくなったもの(平成13
年から17年)を事業者からの報告により調査した結果、30%は死亡し、その病気は①脳
(31%)②心臓(27%)の病気③失神(7%)④その他によるもので、循環器系の病気がほ
とんどである”
 

という話もあるほどで、6年も前から出ている話であることがわかる。

保健上の問題としても、労働災害を減らすことの重要性は、当事者の生涯収入、家族経済の安定性、税収安定、国内経済の安定化を考慮するうえでも非常に重たい。
交通事故で死亡した場合、かなりの損害を起こす。さまざまな経済で影響が出るため、ニュースに取り上げられ、できるだけこのような事態を減らすということは大きな効果を上げる。
その点では誰かを攻め立てるだけでなくこのような現状があるということを理解できるような内容の情報を提供していただきたいものである。

さて、疾患疾患といっているが、交通事故時に起こる(大きな関連がある)と考えられる病気について少し解説をする。

・SAS(睡眠時無呼吸症候群)
寝るときに舌沈下、気道閉塞などがおこり、呼吸が一時的に停止あるいは呼吸情態が悪い状態が続くこと。長時間の集中力が失われやすく、突然の深い眠り、心疾患や脳血管疾患につながることもある。
・虚血性心疾患
心臓の動きが悪くなる疾患で、狭心症やその重篤な症状の心筋梗塞がここに含まれる。急性症状では心臓の動きが一気に悪くなり、強い痛みを伴う。
・心房細動、心室細動
これは疾患ではなく状態のことであるが、原因不明の場合、そのまま病名となることもある。心房や心室が心臓の通常の動きと異なる動きを起こすことで、心臓の本来のポンプ機能が失われる。
・大動脈乖離
大動脈とよばれる心臓から出てすぐにある動脈の壁(多重構造になっている)に血流が入り込み、全体の血圧が下がり、その影響で失神がおこる。拍動とともに広がり、失血死することもある。心臓の壁までもぐると、心臓の動きが阻害されてそのまま死亡してしまう。
・脳血管疾患
脳の血管が破れたり血流がわるくなったり、血栓が詰まったりして起こる。
脳梗塞・脳出血などがここに含まれる。強い痛み、痛みを感じないまま失神することがある。意識がある場合でも言葉が出せない、体の動きが抑制される、体の動きが制御できないなどが突然起こることもある
・深部静脈血栓症
・肺塞栓
この二つは原因と結果のどちらを述べるかで違う。深部静脈血栓症はいわゆるエコノミー症候群で、肺塞栓はエコノミー症候群の最終点である。同じ体勢で居る事で、足や殿部で細かい血栓がおこり、肺で詰まることで、酸素の交換が行いづらくなり、最終的に意識を失うことになる。

自動車を運転する場合はこれらの疾患が起こることが確認されている。エコノミー症候群は、高速道路での巡航を行う場合のみ、ほぼ同じ体勢になることから起こる可能性が考えられる。
最も潜在的に危険であるのはSASで、これは基礎疾患だけでなく、体型や、気道状態、寝るときの体勢などさまざまな要因がかんがえらえるため、基礎疾患によるスクリーニングだけではSASを見つけることは不可能で、眠りが浅い、寝たあとにのどが痛いなどの自覚症状を訴えてもらわないと防ぐことはむずかしい状況である。
ここにあげられている疾患はいわゆるメタボリックシンドロームの延長、生活習慣病の延長にある。特にその中でも高血圧症と動脈硬化は深刻に影響をしていることが考えられる。
動脈硬化や高血圧症がなくても、長時間の運転をしていることで、血栓などを生むリスクがあるのである。長時間の運転ではコーヒーなどのカフェインを取ることが多いが、カフェインによる交感神経の活性化は、尿量を増加させ、心拍増加を促す。つまり一時的に血圧があることを示し、尿量が増えることで血中の水分をうしないやすい状況となる。
ここで注意してほしいのは、カフェインが悪いわけではない。水分補給をすればさらに血圧が上がるだけであるので、適度である必要がある。ここでいいたいのは「長時間の運転をすることそのものがリスク」ということである。
かといって、長時間運転をしなければ運べないもの・人が多い。長時間運転をしなければ困ることのほうが多い。そのリスクを背負っていただいているというのはそれだけの利益を生むためのリスクでありすべての労働におけるリスクと比較しても、背負うリスクとしては重いわけではない。
(もちろん、働く量は自己責任による判定にすがるしかないが)

少し全体的な労働という話まで話が拡大したので話を戻す。

今回の事故ではSASが疑われている。
しかし、SASでは、居眠り運転として記録されてしまうため、事故記録には残らない。ほかの原因もいくつも思い浮かぶのに、どうしてSASであると考えられるのだろうか。
まず、理由のひとつに、年齢が若い。生活習慣病による急性症状が起こる年齢はだいたい40歳代である。心疾患では基本的に1秒近くの猶予があり、ほとんどの心疾患の事例ではブレーキが踏まれる。ただし、失神してしまった場合はブレーキを踏む猶予がない。(特に若い場合は失神することは少ないため)
失神している場合はラッキーなときはブレーキを踏む。最悪はアクセルを踏む。バスや大型トラックなどはデッドマンシステムとして、(巡航中はオートアクセルとなるので、無理だが)踏み込みの圧が抜けるとある程度ブレーキがかかるシステムを導入している(新しい型のみ)
今回の事案では、トラックにぶつかったということだが、ガードレールにぶつかるような蛇行運転があったことを考えると、意識はなかったのだろう。呼びかけに対しての反応がないということは、深い眠りまたは失神、その時点で心停止のいずれかが考えられる。



事故の当該車は、運転手交代を呉羽PAの次の小矢部川SAでおこなおうとしていたということ(記事より)を考えると、休憩中に席を立ったことで、深部静脈にあった血栓が動いて、肺塞栓を起こしたのではないかということも十分に考えられるが、肺塞栓の場合は非常に失神するに至るまでに非常行動を十分に行えることが考えられる。休憩直後に起こった事故ということもあり、関連性は疑ってもよいとおもわれる。
 


裁判となった場合はその辺も絡めた争点があるのだろうと考えられる。

事業者は同様の事故も合わせて、今後個人の健康を業務改善内容に盛り込むことがかんが得られるが、不健康である人を切り捨てるというのではなく、うまく折り合いをつけられるように考慮するだけでも、十分に事故を防ぐことができることを考える必要がある。




最後に、今回亡くなられた方々にご冥福をお祈りすると共に、事故にあわれてしまった方に最良の治療と継続的な支援があることを望みます。







参考にしたニュースサイト

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140304/k10015698101000.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140304/k10015709521000.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140304/k10015700261000.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140303/k10015683491000.html
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140304/dst14030411200011-n1.htm
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201403/20140304_13019.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140303-OYT1T01306.htm
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140304-OYT1T00757.htm?from=popin

労働災害統計
http://anzeninfo.mhlw.go.jp/user/anzen/tok/anst00.htm

e-ヘルスネット
http://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/exercise/s-06-001.html

参考資料
http://wwwtb.mlit.go.jp/kinki/anzen/3jikoboshi/3jikoboshi_4.pdf

バス時刻表
http://www.miyakou.co.jp/cms/uploadfiles/output/50187e55-9788-4ed0-8051-07e8c0a8020e/

2014年2月26日水曜日

漢字の成り立ち

漢字の成り立ちって不思議。

よく言われるのは「人」。
一人では生きていけないとか、支えているからだとか言われていますが、単純な象形文字です。横から猿人を見ているというとわかりやすいとおもいますが、腰の曲がった人を見た図です。

「体」という文字。
本来は體(骨に豊)という文字が身体という意味をつけられているものだったようで、形成文字といわれています。多くの密度のある濃いものが集まるということをあらわしているそうです。
「体」として表記されるようになった経緯は複雑です。なんやかんやとあって「人に体」という漢字がもともとあり、其れが體に変わって「からだ」となりました。

「血」という漢字
これは実は象形文字なんです。
生贄にささげられる人の血を、器(図から察するに陶器製の杯)に盛っている図を元に作成されています。今分解するとするなら、「液体を意味するさんずいが血を意味して、それを皿の上に載せている」と分解理解できねー

次は取る
これは実は左耳を取っている意味を持つ会意文字です。
昔から戦争して殺した敵の数を数えるときに首では数を数える前に重いため、左耳と決めていればわかりやすいですね。

最後に最。
これは、「取」を利用しています。日のように見えるものは、頭巾を象形している形です。頭巾を取り上げるという意味がはじめの意味だったようです。
それが頭巾(帽子)=特別なもの、一番上のものという意味がついて、特別なものを取るという意味となったそうです。

漢字の成り立ちって面白いですよね。
漢字を書いていたらふと「この字って何でこんな漢字になったんだ」っておもうことが多いので、木になったらあとで調べてみるのも面白いとおもいます。特に中国の歴史を知っていると理解しやすいですし、また日本でしか使われていない漢字の意味や読み方もあるので、日本の歴史も知っていると理解しやすいでしょう。
参考にしたサイトを紹介しておきます。


http://kanji.okcoram.jp/index.html
OKコラム

2014年2月22日土曜日

やれーやれー

やっとテストおわったー。再試験確定だけどー


ほかの人の親にまでやるきあんの?って言われる始末。

やる気はありますが、勉強ができない人なんでどうしようもないんですよ
あと、要領。



っと、愚痴はおいておいて。
今日は実にテスト後の余暇(1日)なんですが、何かをしようと思っていたのに何もする気が起きません。どれくらい何もする木がないかって言うと、ぼーーーーーーーーっとしはじめてすでに1時間たつのに、やったことといえばこの画面を開けてツイッターとかフェイスブックにコメントしたりいいね押したりしたくらい。


そうそう。テスト勉強なんていったら夜更かし偏食のオンパレ。
肌も荒れるし、脂肪はたまるのに、皮膚にいい油分が出てこずにカサつくし。いいことないなぁと、ふとスキンミルクなるものを洗顔クリームと一緒に買ってみた。
洗顔クリームは石鹸と違って、顔がパリパリにならないからいいんだけど、弱い顔の皮膚を刺激するから、かゆくなって仕方が無かった。
スキンミルクをチョット使い始めて、顔に油が乗っているかんじがすごいしているのだが、これはいい。カサつかない、そこまでかゆくない、そしてバリアがはられるから、寒さで顔が痛くない。

ただちょっとなじむまではどうしてもミルクが浮くから初めて使うときにべたつき感がハンパではないっていうのが難点。なじめばベタつかないからいいんだけどね。

今日は書きたいことがほとんど何も無いから、たったこれだけ。フェイスブックに書き込めばよかったかな

2014年2月19日水曜日

疲れたときの行動

人って疲れたときってどんなことするかわからんよねー

今日は、スーパーに自転車を置いてキャリアをはずして、キャリアをはずして・・・はずしたのはいいけど次に何をするのか忘れてしまった。



普段から平気(正確には平気ではないけれど)で人の名前を間違えたり、突然何をすればいいのか忘れてしまったり(瞬きを忘れて気がついたら目が閉じられなくなったり)するんだけど、そういうときって疲れたなぁって感じる。
某巨大掲示板なんとかちゃんねるで、にぎわっていたスレがあった。

それをまとめて動画にしているものがあるのだけど、やっぱり人って疲れてると何するかわからない。

どんなことが書かれていたかというと

・トイレに洗濯物放り込んだとき
・眼鏡したままサングラスつけようとした
・トイレに行くつもりがなぜか冷蔵庫を開けてしまったとき
・片手に箸もって風呂場に立っていることに気づいたとき
・卵を割って中身を生ゴミへ、殻を器へ
・T字カミソリに歯磨き粉つけて口に運ぼうとしたとき
・教室でトイレ言ってくるといって、ロッカーに閉じこもった瞬間のみんなの目
・歯磨き粉で顔を洗いそうになったとき
・信号が赤になったので立ち止まったらひとつ手前の交差点だったとき
・携帯で電話中「あれ携帯どこやった」
・気づいたら独り言
・壁に手をぶつけて「あ、ごめん」とか言ってるとき
・オーブン開けているときノックして失礼しますっていっちゃったとき
・右と左で違う靴をはいて出社していったとき
・職場で携帯を取り出したらなぜかテレビのリモコンだったとき
・ペヤングのお湯をきらずにそのままソースを入れたとき・・・今日の昼の出来事
・1月50日とかありえない日付を書いちゃったとき
・トイレに行っても流したか不安でまた行ったとき
・EとヨがどっちがEでどっちがヨがわからなくなったとき
・なぜか泣いているとき
・弁当買ってきて、気がついたらテーブルの上には蓋が置いてあって、弁当はゴミ箱に入っていたとき
・何か飲もうとしてコップを傾けるんだけど、口の手前で飲み物が垂れ流しになっていたとき
・コンビニ弁当をチン使用として冷蔵庫に入れるなんて普通だよな?
・ネットを開いたものの、何を検索するのか忘れたとき
・大学で人にぶつかってしまって謝ろうとしていらっしゃいませと言ってしまった時
・ノートの行の終わりに</BR>って書いてしまったとき
・紙に落書きしているときに左手が無意識にCtrl+Zのうごきをしたとき
・パソコンの中にどうやれば入れるだろうと本気で考えていたとき
・知らず知らずにかなりの数の髪の毛を抜いていたとき
・あなたは余命半年ですって医者に言われてガッツポーズした夢を見たとき

そして最後に

・このスレを見てなんだか明日はがんばれる気がしたとき




つかれたなぁとおもったときに見ると、ほかにも疲れてる人は多いしまだいけると思える動画からセリフを書き出してみたよ。順番はちょっとだけ前後させてるからねー

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2328249




よくあるのは卵をゴミバコのうえで割ったりとか、ご飯をついだそのまま流しにお茶碗をおいてしまったとか、トイレいこうとして風呂場に入ったときとか、風呂に入ろうと全裸になってからトイレ入ってみたり。
弁当は何個犠牲になったっけ
やかんを空焚きしてたときはあせったなー
ああ、あとは、鍋でパスタうでてたときにそのまま寝てて黒焦げにしたときは火災報知機ピーピーならしたっけ。マットも溶かしたし(苦笑
勝手に閉まってきた扉に「おまえなにやってんだよ」は平常運行だからしかたないとして

なんかもういいや。

あとは病院いけっていうレベルのことしかしてないことに気がついたのが一番疲れる。



orz

2014年2月18日火曜日

やれやれ

テストが受からない気しかしないから、奨学金をガンガン調べている。

コレは完全に「代理」とか「逃避」とか「代替」に当たる行為だけども、やらずにはいられない。
実際問題4年生になったときには、親からの支援は一切ないわけなので、今のバイトとあわせて考えてもお金がぜんぜん足りない。
ふそくsいているものは補わなければどうにもしかたないのだが、目先の失敗予測と、今後の失敗予測を同時におこなったところで、お金の問題はいっさい解決をすることがない。
まぁ、もしも落ちてしまったら前期は休学してアルバイトに勤しむことになるだろう。

奨学金は個人的には三重か愛媛のどちらかで取りたいわけだが、学習してきたところやバイトをしているところに近いほうが安心感がある。今バイトをしているところで働いてみたいとおもっているあたり、いつもどおりっていうのがいいのだろうか。
叔母さんの面倒を見たいと考えているため、地元で就職するほうがいいのだが、当然ながら金銭面からも、今バイトをしている病院のほうが有利であるし、看護的にも魅力が大きい。もっといろんな改良点はあるけれど、最新の医療技術に触れていくという意味で、毎日が刺激的な日々ということもあって、いつも期待をせざるを得ない。

病院の奨学金を借りることとなっても、実際に病院奨学金をかりることとなっても、奨学生機構からの借り入れは確定している。なにがあっても借りなければならない。つまり足りないのだ。奨学生機構からの借り入れのもっともシビアな面は、返金年数が設定できないことにある。少し余裕が出てきて一気に返そうとおもってもできないということが一番の問題点ともいえるだろう。


で、身の上話に移るわけだが、おばさんと母親の面倒はどうにかしてみなければならない状況となってきた。父親のほうは、親戚にどうにかしてもらうしかない。
おばさんも母親も、愛媛にいるのだが、愛媛での生活というのは車がなければ不自由となる。三重も車がないと大きな買い物はしづらいが、愛媛ほどのものではない。電車も充実しているし、道路もいくつもあり、大型ショッピングモールはいくつもある。愛媛はそうではない。となると移動費、交通費は非常にたかくなりがちになる。こうなると、給料が高くなければ、返金をしながら生活するというのは困難に近くなるのだ。
そのへんは地元に帰るときのデメリットにもなりやすい。慎重に考えようとおもう

2014年2月13日木曜日

アニメの「僕は友達が少ない」の幸村のことなんだが

世界にはジェンダーって言うものがある。
性界じゃないぞ!

これが実際のセックスと認識が完全に異なっている場合、トランスジェンダーっていったり、トランスセックスっていったりする。
まぁ、精神的にもスピリチュアル的にも相当なストレスとなるわけなんだけど、わりと世の中にはジェンダーが違う人がいたりする。そして、割と世間になれてしまってそれを押し込めていく人もおおいわけである。
一番困るのは温泉とか銭湯とか。まぁ、興奮する人もいれば嫌悪する人もいるんだけど、割と後者が多いのがトランスの人たちが銭湯を避ける原因となってる。
治す方法なんていうのはないわけで、結局性器作り変えるっていうのがゴールになっている。
同属嫌悪からトランスになる人もいるんだけど、この人たちは体に症状が現れてきた時点で治療とかカウンセリングを受け始めて、治っていくようなことが多い。
トランスの人はレズビアンとかゲイとは違ってその身体的立場が一番キツい。その人たちがどうというわけではないんだけど、幼少期や学童期にトランスとなると共同生活のときに非常に困る。


んで。


このアニメには幸村というキャラがいる。



トランスってわけじゃないが、トランス気味だ。


コレは家庭環境から男性という認識であったということで、単なる不思議ちゃんではあるが、トランスということにしてみると、第4話の話は非常に見ていられなかった。

正しい知識がない場合はこんな反応になるのだろうが、完全否定というのはしてほしくなかった。
というよりも完全否定をしてしまうと、自己認識が崩れたり、強い反発しか生まない。
それよりも、高学年になったとき周りに対して打ち解けた状態でそのことを言われてしまうと、関係の修復は望む事はできない。それどころか、それ以後の学校生活を精神的な意味で安全が崩れている状態ですごさなければならない。

みんなも幸村みたいな人がいたらまずは受け入れてあげよう。
絶対に性的な目で見ることは許されない。性的な目で見てしまうことは紳士として恥ずべき行為なのだ。



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と書いてみたが、アニメだし、まぁなんだかんだで納得していることを考えるとトランスじゃないんだよね。
それにしてもここまでネタ取りしてきてツッコんでも何も言われていないのは同じ制作会社とか同じ出版社とかそういうつながりだからか。


友達がいないっていうのはこういうのじゃないんだよっていう最終的なつっこみを原作者と共に、どうぞ

あ、いいわすれてた


幸村マジ幸村

















さっ勉強しよ

初めておもちゃをもらった子供の気分

いや実際子供なんだけども。


ええと日に何度登校すれば気が済むのか。


なんか今日はいろいろな発見をしてしまった。




たとえば、動画のエフェクト作成ソフトのNiVE。これのNiVE2を導入しているわけなんだけど、実際にどんな使い方ができるかとかみていたわけね。
そしたら、けっこうカメラ制御がやりやすそう。
どうやら光源効果に関しては、プラグインを入れないといけないってことだったので、

一気につっこみました。

 
どんっとこれくらい。
 
いや、やりすぎやね。
つってもまだ突っ込んでないわけで、コレはバックアップフォルダのもの。テスト期間だしやる気はない。(探すほうの気力はある)
コレだけそろえるとなんだかいいかんじになるよね・・・!
ええと、実は動画編集ソフトとかのツールがこれだけあるんすよ。
 
 
どんっ
LightWorksもあるからちょっと選択中。(画面外)
でもね、おもったように使いこなせてなくて困っていたんです。
特にAviUtilはカメラ制御がちょっと使いづらかったことと、あまり大きなファイルが扱えなかったので大きなファイルを扱うときはLWを使って、ある程度圧縮や接続なんかをしてから編集みたいなかんじにしてて。結局のところカメラ制御を使えなかった自分が悪いんですが、使えていなかった。
 
それで、これだけあると何かできる予感!
 
あ、そうそう。
 
AivUtilのアプデがあったとかで(だいぶ前)更新しました。Verが0.4とかだったのに1.00とかになってました。(あれえ?
 
 
中身のプラグインとかもちょっと更新して、たぶんコレで使いやすくなったんでしょう(使ってないからわからない)
 
 
 
 
 
 
ここで一言でありんす。
 
いつも使っていないファイルって忘れるよね。
 
 
 
 
 
これだけファイルがあると、統括しているとはいえ、何が何のファイルか忘れています(笑

2014年2月12日水曜日

今、学生に必要なこと、教育に不十分なこと。



いや、勝手に考えているだけなんだけど。


 僕自身が今ボランティア活動をずっとやっているわけなんだけど、周りがなかなかボランティアに興味を示さない。それどころかバイト一本っていうのが多い。うん。お金を稼ぐのにバイトは必要だよね。楽しい楽しいサークル活動も必要だよね。まぁそれはそれでいいんだけど、ボランティアっていうのもあるのを忘れないでほしいなぁ

 特に「就職忙しいんだよなぁ」とか言う人。あとは「やりたいことないけどとりあえず就職活動目標にしてる」って言う人。
ボランティアおぬぬめだよ。

 まず、社交力UP。
 ボランティアするときってぜったい人とのコミュニケーションが大切になってくるし大規模になればなるほど初めての人とコミュニケーションしていかないといけない。んで、回数参加すればまとめ役になる機会も出てくる。
 サークルとかだと上下関係が構築されていることが多くてまとめ役の大変さを理解できないまますごすことも多いんじゃないかな。上下関係がしっかりしすぎているとできることとできないことも出てくるのは確かで、まぁいろいろな視点もあるよね。
 それに、ボランティア活動をしていることが書けると割りと就職では有利。特に外資系なんかだと重視されるし、ボランティア活動って響きまで優れているんだよね。

 それで、活動ごとでの違いってなんぞやっていう話になってくると
サークル活動では中心的役割になっていると、おのずと人のまとめ方や指示の受け方もわかってくる。人のフォローの仕方なんかもそう。それはボランティアでもおんなじことだけど、ここからは精神論的な面が出てくる。

 サークルは好きだから続けているけど、ボランティアって何か自分が役に立てないかとおもって続ける。そしてどちらも達成感を得れる。ゴールは一緒だけどアプローチが違う。
それと、ゴールはラインのことを言うのは何かの競技をしている人ならわかるよね。
つまりゴールラインを超えてからはその進み方も違うわけよ。

お?なんか言いかんじにまとまってきたぞ

さてここから核心的なちょっとイイ話。

 ボランティアって何で重視されているか。何か人のためになるから?誰かのためになるから?
それもあってるけど、ボランティアっていうのは自発的で利他的で、先駆性があって無償性のある行為っていうていぎじゃないけど原則みたいなのがある。もちろん、ボランティアをしている人が全員が全員そんなキモチをもっているかっていうとそうでもないけど、全体の話ね。だから少なからずボランティアに対する目線はそういうのを求める目線でもあるわけ。
 社会に出て行くと、自発的に仕事を求めていかないと、上から降ってくる仕事なんて高が知れているし、そのままでは能力も上がらない。先駆性なんていったら社会人として求められる物そのものでもあるよね。社会人って実は求められてることいっぱいるのよ?
 それで全部が通じることは言わなくても(書かなくても)わかるとはおもうんだけど、社会人としての地位をほしいならばそれなりに犠牲(労力)を払う必要がある。
 如何ともし難い例にはなるけれど、大学とか高等学校になって過去問を手に入れようと必死になる生徒と、過去問を与えて下級生から慕われる地位を手に入れようとする生徒。どっちも利益を追い求める変わりにがんばるよね。
 これは完全に利己的だからボランティアではないから注意してもらうとして、結局何かの努力は必要ってことはわかるよね。
 努力が報われないとか言われているけど、それは努力したことがまだ実力としてついていないだけで、実力としてくっついてくるとぜったいに報われてくる。
 欧米だと、「noblesse oblige」っていう言葉がある。簡単に約すと、自分の地位の保持には犠牲と責任が伴うっていう意味。偽善とか慇懃無礼とかって差別的な意味での社会的責任のことをさす事もあるし、「私奉仕してるから贅沢してもいいでしょ」(贅沢だから奉仕している)っていう貴族の優雅な暮らしの隠れ蓑としても機能(言葉によって美化されていた)していた面もあるけども、やらない善よりやる偽善が結局誰かのためになるわけで、その偽善が評価されることはほとんどない。けれど、やらないことが善としていると周りからの目は冷やかなものになっていくのはわかるよね。
大震災のときに何かするのが当たり前っていうのがまさしくこれ。
 でもそういうのが過ぎるとっていうか、元来上の人には頭を下げるものであった日本では、武士道としての義の精神から心を鍛えるためにも奉仕を行っていることはあっても、それ以上の人は何もしていない。ちょっと昔の貴族院とか皇族の人たちからは西洋を取り入れてボランティアを推奨しているわけなんだけど。そんなこともあって廃れてきたのかな。
 ノブレスオブリージュって言う言葉はフランス語でどうしてもなじみがないけど、社会的責任って言う言葉に代えると、おかれている状況を認識しやすいね。
 このノブレスオブリージュを達成するためにボランティアをするって言うのが当たり前というか、一般的な認識となっているので、ボランティア活動っていうのは日本での認識とはわりと逆のイメージがあるっていう話。以上まる

 まぁ、最近は海外でもまた微妙になってきているのはたしからしいんだけど。

 結局、大学生のイメージって遊んでいるイメージがある中でボランティア活動をするって言うのはイメージを変えていける一歩だともいえるんじゃない?

 そんで、やっと本題半分の話。教育に足りないって言うのは、このことを教育できる体制。
 正直言って、ボランティア教育なんてやってるとこがどんな学校でもない気がする。カトリックとかミッション系の学校ならあるんだろうけど、一般的な教養として少ないよね。
 でも、強制でやらせるっていうのはボランティアとはぜんぜん違うから、興味がわくような話をするって言うことも考えて、高校とか大学でこういうのをやっていかないとなかなかうまくいかないとおもう。
 そういう高等教育の中でボランティアの話をするっていうのは何かしらのタブーになっているのか、それとも単純にやる気がないだけなのかはわかんないけど、もっとあってもいいなぁって。
 自分たちが何ができるか、どんなことなら続けていけるか、どうすればボランティアとして認めてもらえるか、何を欲しているかなど考えたり調査できるような活動ができれば、もうそれが完成した時点で社会人として大きく周りからリードできる人材になるんじゃないかな。”これやりたい””誰かの役に立ちたい”っていう気持ちだけだったのが具体化して言って、それが成功しようが失敗しようがそのプロセスが自分の経験になっていくんだから、正直下手な一般教育を下手にこなさせるより教育になるとおもうんだ。なんか日本語を正しく使おうとか、そういう授業があるけどそういうのいらないとおもう。いや、必要だけれど、必要としないときに教えられるもんだから逆に覚えていないとか正しくない使い方してみたりとか、必死さが無くなってくるんだよね。知識としてっていうなら授業なんかも一回でいいはず。
 つまり、何が言いたいかって言うと、そういう講義ができるような人が大学とかに一人くらい居たほうがその大学の将来は明るいとおもう。


 そうなってくると、方向性ってすごい変わってくるんじゃないかな。
 自分の楽しみと他人の楽しみが共有できるとか、自分の喜びと他人が喜ぶ姿っていうのが重なったりとかする状況を望むような活動をしていって・・・最終的にそれと今やっている仕事の関係を見つけることができて、周りにそのことを伝えることができるとかね。
 達成感をほかの活動と結び付けられるって言うのもボランティアの醍醐味かなぁ。
 スポーツとかに似たすがすがしさもあるから、スポーツ選手がシーズンオフとかにボランティアで清掃活動とか社会活動しているのもこの点にあるかもね。マンダリンパイレーツとか愛媛FCの人たちがテレビで「僕たちはこういうスポーツをさせていただいているから、その感謝の気持ちを忘れないようにこうやって朝掃除をしたり、体操を一緒にやったりしている」っていうのがあったね。(※このセリフはあいまいな記憶なので実際のセリフではありません)

 そんなわけで今の学生に対して人生の楽しみ方のひとつと、考え方の視点を提供するのであった。

 まぁ、ココまで書いてからでなんだけど、興味がない人はいつまでたっても興味がわくわけがないんだけどね。(言っちゃったよ (そして煽っていくのかよ

おっと本日2回目の投稿だあ!

だぁ!

自分の趣味のひとつに自転車で早く走るっていうのがある。いわゆるロードバイクに乗るってやつ。
自転車って本当に完成された動力活用法のひとつなんだよね。
それに載って遠くに行くのがほんとに好き。そして其れを使ってレースをしている人たちは尊敬する。それに、なんでもそうだけど乗り方がきれいならすごく素敵な人だよね。
自転車もデザインドバイクはかっこいい。洗練された走りのデザインは流線美に富んでいてついつい目がいってしまう。

でもそんなデザインドバイクはすっごい高い。安い入門用バイクで5万とかするんだけど、OEMバイクになればなるほど安い。
高いのなんて言ったら普通の乗用車の値段くらいするし、そもそも2年に1度の割合でキア類を一新しないとやっていけないから、維持費もかかるわけ。

そんなときに廉価品のバイクがあると、手も伸びるよね。

さて、そんなときこそアマゾンなんかでよく見かけるDOPPELGANGER。

小径車を中心としたラインナップで、販売実績もそこそこ。小パーツからキャリアバッグまで製品も揃っていることがウリで、デザインもなかなかCool。町乗りにはうってつけだろう。


でも、インターネット上のレビューや、自転車を購入するときにDGってどうなのっていう記事や知恵袋ではたたかれまくっている
なんでや!

どうしても安いもの=中華製品=ボロい というイメージという認識があるようで、それも一流()ローディーの皆さんにはそんな安いので載るんだったらもっといいのがあるよということなんだろう。大体が”そういう感じ”で書いてある。
実際乗ったことないようなレビューばかりだったり

実際、デザインがCoolといっても、安さとの両立には限界があるし、お店で買うわけではないのでアフターがキッチリしているわけではない。(お店でネット注文してもらい、フレーム割で注文してもらうとお店の利益になるからオプション割として使えたりするからお店で注文してみよう)そして、モコモコしている接合部。なんだか危なそうというイメージを持つ人が多い。
(あ、ちなみにモコモコ接合部はほとんどの自転車がもこもこ接合なんだけど気づいてないだけかな。あとやっぱり一部の自転車だけだけど。)
それは結局どこの自転車でも買う方法が違えば結局同じでしょう。(キッパリ
(゚д゚)<所詮中国製フレームだし何か危険な香りが漂ってるよ
いや、早合点しすぎでしょ。BAA(Bicycle Association Approved)の認定車にドッペルのあるよ?
(゚д゚)<で、でも折れてる自転車あるじゃん。画像で見つけたことあるぞ
そもそも自転車のフレームは鉛直方向の圧力をタイヤ軸に向かって放散させれるように作られているから、一番無理のかかる場所は接合部とかでしょ。でも金属なら伸びるから折れるって言うのは相当な力を一瞬で加えられるような事故とか重たい人が高い段差を降りたときとかにしか折れないぞ普通。しかも其れは高級なカーボン自転車でのみ起こりえるし。
(゚д゚)<ドッペル乗ってる人はなんか貧乏くさそうじゃん
んなこと気にする自転車のりはいませんが、車やそういうのに過敏な人はそうかんじるとおもいますよ。まぁ、確かにギアなんかはどうしても最下位のモデルを使っていますけど、アサヒの自転車さんにあるロードバイクを見て御覧なさい。
あれはSoraばっかりなんですよ?でも乗っている人は乗っているし、乗りかたがきれいな人はすごくいい走りをしているじゃないですか。
つまるところ、自転車がどうのって言う人はまずはその自転車に目を向けるより乗っている人がドンナのりかたをしているかを気にしたほうがいいんじゃないでしょうか。

そうそう。話が乗り手だけに集中してしまいましたが、ドッペルゲンガーの自転車、安いです。安くて走れます。カッコイイ自転車がほしいけど自分だけの自転車がほしいって言う人はドッペルおすすめです。なんでかっていうと乗ってる人が少ないから。(今のところ)


あと、上級者になってくると、塗装引っぺがして自分だけのペイントをしていくのもいいんじゃないかなとおもいます。小径車のフレームは完成されているようなものなので、色を塗り替えたりするだけでぜんぜん違います。自分のものっていう愛着もわくからチェーンキリキリさせたりブレーキキーキー言わせたりしなくなるのもあって言いと思いますよ。

あれ、やっぱり結局乗り手がどうあつかうかで違ってくるんじゃない?

最終的にそういうことなんです。


自転車なんてほしいのを買って、好きなように乗ればよいのです。アンチの評判を気にするなら有名どころを買えば何もいわれないというだけの話です。

お金に余裕があるならば、調べれば調べるだけいろんな自転車があります。有名なものからあまり知られていないものまでたーくさん。でも自転車屋さんに行かないとなかなか手に入らないのは割と融通が利きませんよね。みんなは知らないかもしれませんが、普通のロードバイクとかマウンテンバイクはそのままでは届きません。いろいろとバラバラです。完成車の状態で届くこともありますが、なかなかありません。高いのになればなるほどそうなんですが、ドッペルの自転車は完成車のままで届きます。ご安心をば。

さて、そんなドッペルの自転車、見てみるのもどうかね?



※ドッペルさんがいじめられていると聴いてちょっと援護をしておきました。

さて、初のブログ記事になるわけなんだけども。

さて、初のブログ記事になるわけなんだけども。

ネット暦がすでに10年立つわけで、初のブログ記事といっても単純にこのブログで初めての記事というだけ。
今までいろんなSNSの栄枯盛衰を見届けてきたわけなんだけど、ほとんどのブログサービスって火がついたり消えたりが早いよね。SNS全体が一瞬話題になるけど話題が過ぎたらおしまいというかんじがすごい。
そして、使いやすさとかデザインとか更新のしやすさとかがまちまちで、一長一短もおおいわけ。
自分のホームページは更新を滞らせて約2年たった時点でサーバーから消されました。
実際に更新しなくなって4年くらいたったのかな。
ちょっと前まではあったんだけどね~

まぁ、それくらい自分で何かを書き記すとか、なかなかしてこなかった。つまり、頻繁に更新をすることはほとんどないんですよ。
だからこそ何か書くときはがっつり書くことが多い。文句でもなんでもそうなんだけど、ガーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと打ち込むのが趣味(?)

文体も、話し言葉だったり敬語だったり、ですます調だったり、レポート風であったりいろいろ。そのときの気分です。(キリッ


個人的レビューとしては・・・

最近ログインすらしなくなったmixi。こちらは、リアルの関係でログインしなくなったのと、やっぱり利用しづらい。コミュニティとかはすごいいいと思うけど、ブログみたいに頻繁に更新なんかした日には「こいつ暇人だな」としか回りにおもわれないわけで。あとは、ログイン~日記を書くまでがなんか融通が利かない。あとはなんだかんだで入力する文章の文字制限が1万文字。
1万文字は頭の中駄々漏れにする自分からすればたった30分で埋め尽くせるって言う程度。好きな位置に画像が埋め込めないし、拡大とかもしづらい。それになんたってケータイのアプリが不具合起こしているから(キリッ


次はfacebook。
こっちはたった2400文字程度しか近況に打ち込めない。あと30分以上入力画面でとまっていると、なんか落される。
自動保存もされないから、いい文章ができたとしてもなんか使いづらい。写真をアルバムに突っ込んだりできるのにはすごく便利だし、なんだかんだでコンテンツが勢ぞろいしているのはすばらしいとおもう。けどやっぱり文字数が少ないのと、長い文章を書く人には相当不便。


忍者ブログ
正直使い方はhtmlコード打てる人じゃないと厳しい。
あとログインは自動保存できません。Cookieをどうにかしても保存できません。自分だけかも知れませんが。レイアウトとかもすばらしかったんですが、設定がいじりにくかった。あとは時代が時代だけにドメインがすごく決めづらかった。ドメインの部分どうにかしろよってかんじにはなるんだけど、こちらはすごく自由度は高かった。忍者はドメイン数がめっちゃ多いから好きな名前にしたかったらドメイン変えて好きな名前付けることができたね。今はどうかしらん。ソースは8年前のオレだ!


アメブロ
かわいいとかそういうの。ほんとそれだけ。可もなく不可もなくのブログです。アメーバのゲームをやっている人は書くのも楽しみになるんだろうけど、やっぱりブログのページを開けない限り絶対に書かない。あとはやっぱりブログを作るにはIDが必要で、登録するとがんがんメルマガが送られてくる。ケータイアドレスしかないって人は新しくブラウザでメアド作ってそっちで登録したほうがいいね。可もなく不可もなくって言うのにはほかにも理由があって、最大の理由はやっぱりデザイン。どうしてもアメーバピグのプロフが載るようになるから、それがジャマ。


FC2
使ったことない以上。


ジュゲム
一時期使ったことがあるけれど、記事の投稿に認識が必要(今はどうかわからない)だった。初心者さん向け。ヘビーユーザーにはちょっと手が届かない部分も多い気がする。たとえば画像貼り付けは位置が固定されたり、アップロード限界あったり。


ライブドアブログ
うん。論外。
昔はよかったらしいんだけどね。やっぱり”無料””国内サーバー”を打ち出しているせいか、たぶんブログサービス中でベスト3を争えるレベルの広告の多さになるね。あとはやっぱりかゆいところに手が届かない。初心者さん向けかな。そしてやっぱり今は知らん。最盛期のライブドアしかしらんもん。あと、○○エモン嫌いだし。


はてなダイアリー
はてなのブログ版。どんどんはてなにリンクされる。どれくらいリンクされるかっていうと、記事のある単語を入れておくと単語ごとに青くなるレベル。どれがテストに出るんですか先生。
はてな先生パネェっす状態。でもはてなの記事を書いている人とか、はてな系でID作っている人は使いやすいとおもうよ。今はしらないけどログインしたらはてなダイアリーへのアクセス画面が目の前に表示されるようになっていたし。


Yahooブログ
えっと、何でしたっけ(すっとぼけ)。知り合いが使っていたからあんまり悪いことは言えないけど、あえて言うなら、画像のアップロードが使いにくい。前回使ったファイルに飛べなくてフォルダ階層からさがすことがしばしば。たぶんWin8の人はファイルに飛ぼうとしても階層表示がプログラムファイルスからになっていると思うので使いづらさアップするかも。そしてやっぱり制限がきつい。



Brogger
数年前からあったのは知っていたけど、なかなか手が出せなかった。Brogger と facebook は外国人御用達という感じがしていたから。どうしてかって言うと、今もそうなんだけど、日本語フォントの選択肢がない。デザインによってはブログの記事テーマが表示されなくなるものもある。数年前のBroggerは説明文が全部英語だったんだよね。今は全部日本語化されているけど、まだフォントは日本語の選択できない。英語を選んでMゴシをどうにかして引き出せるようにしないと全部明朝化するよ。下手すると、簡文体の中国語になるから日本語書いているはずなのに中国からの来客が着たりするハメに。くるのは別にいいんだけどコメントが読めないんだよね。
まぁGoogle IDにログインするとメニューから飛べるし、ヘッダーに突っ込めるからなんだかんだで
ログインはしやすい。っていうかろぐいんしっぱになるし。
あとはほかのブログにはほとんど実装できていない自動保存がつかえることかな。自動保存がないとバックスペースを多様したり、ほかの作業をするためにブラウザを切り替えたあとにバックスペースを押したりしちゃうから、便利便利。
ただ、欠点としてはブログの投稿までに④ステップくらい踏まないといけないことがあるよ。面倒くさいのが嫌いなので、その辺はすごく考慮してほしかったりもする。
ただ、画像のアップデートとかはケータイからGoogle+に上げた奴をリンクしたり取り込んだりできるから本当に楽。デザインも幅を持たせてあるから、フェイスブックみたいに画像の調節とかでがんばれる。検索の上位に出してくれるのもうれしいな。


そのほかにもブログはあるけど、ほかのブログが木になる人は自分で検索してみようか。
もちろん、参考となるサイトはあるよ。

ココとかはオススメ。→http://blog-tips.net/article/92088644.html


さて、最後に比較をしちゃおう。ベスト3形式にしてみた。

まずは投稿のしやすさ

1、Facebook
2、mixi
3、ジュゲム、アメブロ


検索の引っかかりやすさ(検索したときに自分のブログが見つかる確立の高さ)

1、Brogger
2、yahoo
3、アメーバ
あっ、これはGoogle検索からのお話ね。ブログ運営をしているところは大体が検索サービスもやっているから自分が運営しているブログの記事とかはすごく見つけやすいようにロボット巡回させたりしてるよ。きちんとブログ運営すればどのサイトからも見つけやすくなるけどね~


画像の投稿のしやすさ、記事への挿入のしやすさ

1 Brogger = Facebook
2 yahoo
3 ジュゲム
1位についてはフェイスブックへの投稿のしやすさのぴか一さは誰にも抜けない。心理的にも精神的にもぜんぜん違うよ!ケータイからもブラウザからもすごい投稿し易い。Broggerは先述したとおりのかんじ。


ログインのしやすさ

1 Facebook
2 yahoo , Brogger , mixi
3 その他ブログ
1位2位は、ほっといてもログインし続けてくれる。ほかのブログは割かし承認が必要なことも多い。
でも結局1位2位のログインのしやすさって1位意外微妙だったりするからすごく大差があったりするんだよね。。。w


ってなわけで、一発目の記事だったので自分が使ったことのあるブログから経験してきたことをだらだらと書いてみたよ。
なんか比較までしちゃったし。
色とかそういうのつけるの面倒くさいという観点からも色はつけません。編集だるいし。
といったように、自由に勝手に気ままにブログを書きます。頭の中がどろっと出てきているのでもしこのブログを見続ける場合には精神汚染に注意してください☆


以上

テスト投稿

ブログ作成してみた。

とりあえずなんか適当に