いったことある場所

注目の投稿

クッソ放置してたブログですがリハビリ的な投稿をまたまた。 写真編集も滞り、嫁からも「パソコン遅い(怒)私のノートパソコンのほうが早いよ!」と言われ、まだまだゲームも現役で動いていたし、なんやかんやで問題もなく動作しているからいいやと思っていたパソコンをようやく「あ、遅いんだ」っ...

2014年3月27日木曜日

親の身勝手さにはあきれた。

親から学んだこと。これは、人生に対して大きな影響を与えるもののひとつだ。
俺は、親から学んだことは「人の怒らし方」を学んだ。
学んだというかかってに会得してしまった。
一つ目は腹のたつ笑い方。
もうひとつは上から目線でしか頼めない
さらにもうひとつ、短気。

この三大要素を学んで、人生で損しかしていない。
ふとしたときにそういうのが出てくるのが一番の欠点で、自然に出ることからも、本質として存在してしまっている。
親のせいであることはひとつもないとか、
其れは全部自分のせいだというひともいるだろう。だが、それは同じ境遇にたってから初めて言える話である。同じ境遇なんて存在しないのに否定からしか語れない人間は、何かが狂っている。自分の人生をいちど振り返ってみるといいのではないだろうか。

子供の能力を全否定してそれがいいことだとかんじているのなら、なおさら子供を育てないほうがいい。もうあまり昔のことを掘り返しだすときりがないので最近のことだけに集中したとしても、たとえば「できないのに大学なんていってどうするのか」この一言は今でもストレスになっている。
はっきりいってテスト勉強中にこれを思い出した日には勉強どころの騒ぎではない。鬱の始まりだ。
勝手に涙は出てくるし、勝手に落ち込むし、勝手に頭がはたらかなくなる。何も考えないようにするためにはどうするか・・・なにも考えないようにするともっと頭の中で反響するようになる。勉強なんて集中すらできない。(しゅうちゅうを変換すると皺柱になるからもう第一変換オンリーにする)
ペンを持つ力さえ抜けるような状況にまでなっているのに、親はきづくことはさらさらない。その状況を理解しない。やれそこからは罵声大会のはじまりである。罵詈雑言の嵐と共にさて学び取ることはなにか。短気なことと人の起こらせ方を学ぶわけだ。
いったいどうしたらこんなに短気になれるのかがわからないくらい短期になる。文字を一文字一文字書くたびに、やるきの減少とともにフラストレーションが倍数的に増える。
ただでさえ、4年間だけしか払わないといっていたのが、もう払わないといってみたり、おまえの生活費は自分で払えといってみたり、月2万で、前後期の教科書代を自腹で払えといってみたりして、ただでさえ胃に穴が開きそうなほどストレスがたまっているのにである。
それで勉強に皺柱しろというのがなにかおかしなはなしではないのか。
畑が違う人がよその畑のひとにたいして、作物が違うのにもかかわらずどうして今種をまいているのかを説教してまわるのとおなじだ。お前の畑で育てているのは春野菜で、こっちでそだてているのは秋野菜なのにもかかわらずだ。俺は肥料をやらずに育てているのに肥料をやるのはなんでだおかしいだろと文句を散々いって、その肥料を全部捨ててみたり、そんなことをしたのになんで肥料をやらなくなったんだかれてしまうだろうといってまわるのとおなじ。
そんなのの息子ができるわけがないだろう。
そんなふうにしろと育てられたら勉強ができるようになるのかと。

コンバインで耕すような場所を全部一人で耕せっていっているのに、コンバインと同じ時間で作業することを求めているというのを気づきもしないのは、本当に親なのかと。
親である以前に人であることを求めていないならはじめから子供なんてつくらなければよかったんんじゃないか?
そもそもメンテナンスフリーの機会がひつようだとかんがえているのなら、はじめから其れを目当てに生活すればよいことだろう。



人は身勝手であってもそれを他人に強要することが必要なのか?



身近な他人は家族というのに、その家族にそれを強要するのなら、まず自分が変わるしかないんじゃないか?


子供の癖してという言葉があるが、はっきりいってこれは親の癖してというのが妥当だろ。
親が真っ当な生き方をしているというのであれば、その背中を見て子供があこがれるだろうが、
お前は真っ当な生き方だったか?子供が背中を見てあこがれるような背中だったか?
あこがれるような説明をしてきたか?
なぁ、俺はおまえを親とは認めたくないが、世間様は親だと言い張る。
なにをするにしても保護者として、保証人としての役目があるんだとさ。


たのむから、もうこれ以上邪魔をしないでくれ。
たのむから、もうこれから邪魔をしないでくれ。
たのむから、たのむから、俺の中からお前の記憶を消し去る時間を与えてくれ。
身勝手な言葉の応酬と、身勝手な行為にはもう飽きたんだ。
もう十分邪魔して気が済んだろ。 もう休めよ。

2014年3月13日木曜日

久々の更新です。

皆さんはベルベット・キスというコミック作品をご存知だろうか。
すまない。皆さんではない。
青年域である人たちと、その手のことに興味のある人たちだけに絞る話になってしまう。
結論を先に言う。
レビューよ、本当にありがとう。


結論がそれかよという突っ込みは口の中に押し戻して胃の中で消化していただくとして、この作品は簡単にあらすじを、ざっくりとさらっと話すと、新人会社員にツキが回ってきて人生ばら色となるはずだったのが、多額の借金の保証人となってしまっていた。で、借金チャラにしてもいいよっていう代わりに社長の娘と「友人」になれよと。その娘が無表情でサドッ気があったビッチで、友達も成金族ばかり。もちろん、カネが有り余ってる友達の中に借金抱えたままで居座らされるのは心地が悪く、反論したり、どうせ上辺だけなんだからといってみたりして自己嫌悪する主人公。で、この主人公にいろいろと開発されることにより、表情がゆたかになった。もちろんカネのための付き合いと考えてた主人公が社長代理が手薬練を引く策略の渦にはまっていたということで、会社関係も友人関係もズタボロに。そこからのどんでん返しと、その娘の裏がたった数ページで語られるというエロシーンをすっ飛ばしてあらすじを理解しようと必死になってしまう。

ちなみに、どれくらいエロ要素があるかっていうと、ヤってる描写がだいたい1話に対して2回。それ以上のことも。
実際の会社員がこんなに女遊びができるわけがないんだが、それはおいておくとして。
はっきりいって、エロシーンがおまけ。本編は完全にキモチをわかってあげられない主人公と、その主人公の気持ちが痛いほどわかる状況になってしまうほど主人公が貧窮、疲弊していく姿が描かれている。その中でも無表情で、世間に関心がなかったお嬢様がいろいろと変わって行くのは斬新で面白い。
もちろん、最近の作品に良く見られるパンチラ、パンモロじゃなくて、普通にそのへんで夜のボクシングをしてしまうのが逆に清清しい。パンチラパンモロにするくらいならそういうのがないとダメなんだよって今の作者に教えたい。

そして、全4巻のこの作品だが、意外とサラット読めてしまう。エロシーンが多いのだがなぜかエロに集中できない。エロよりもこの物語としての全体像をはやく理解したいという気持ちが出てくる。
それがページを開くのを加速させてゆく。
最近のドラマで言えば半沢並(いやそれ以上だ)のどんでん返しがおこるのだが、いかんせんエロが多いのでなんともしがたい。
けれど、重要なのはエロのシーンでもある。エロというよりただのヘンタイプレイ集なのだが、プレイの内容ではなく、会話が重要なのだ。そしてその会話とその態度の変化が背景描写につながっていることがエロシーンのなかで抽出すべき重要な場面である。
エロがいやだからといって読み飛ばすことはできないが、絵に集中することもできないのである。(いじらしい)

と、勝手に評価をしてから結論に至る経緯に移る。

レビューというのはその人個人個人の想いや感想などがあり、内容をある程度言及してしまっていたり、妙にキャラに感情移入してみたり、製品であれば、不具合がどうのや、すばらしいの一点張りで第三者視点のレビューは砂の中の一粒にすぎない。
ましてや的確なアドバイスや使い方、読み方、どうして自分が薦めるかなどが詳しく・かつ的確に短い文章で書いているものなどはあってないようなものだ。
今回のレビューで一番参考になったのは、”私はメインの登場人物たちの関係を純情だと考える!”とはっきりと書いてあるレビューだった。(これは私がレビューを読んで理解した意味だが)
一般の人なら、だいたい1巻を読んだときにおもうのは、「なんだただビッチの相手をしろっていうことか」という感想だろう。実際そうなのだろうが、この娘はただのビッチではないのだ。それは3巻まで読むとわかってくる。
それを購入する前のレビューから、ビッチ系エロ本に対して”純情”という似合わないことが書いてあるのだ。純情といったらなかなか伝えられない想いとか、相思相愛なのにうまくいっていないだとか、そういう話だろうと。
本を買ってみると吃驚仰天レベルでビッチだから、それを確認するまで読んでしまう。―そして確信した。
「この本はたしかに純情だ」

次の一言がこれである
「このレビューは仕事をしている。すばらしい。こんなに読みたくなってしまうレビューはなかなかない。レビューよ、本当にありがとう。」

2014年3月5日水曜日

交通事故と疾患

私たちの生活中ではさまざまな交通事故が起こっている。
居眠り運転だったり飲酒運転だったりわき見運転だったり、原因はさまざまなわけだが、今最も騒がれている事故は宮城交通バス追突事故だろう。
今回注目するのはこのバス事故についてである。

現在、労働災害としてみとめられている交通事故はこんなかんじ。

 

注釈
A:道路旅客(ハイヤー、タクシー、バス業、その他旅客)
B:道路貨物輸送(一般貨物、特定貨物、貨物軽自動車、その他交通輸送を除く)
道路上での交通事故:業種・事故型より抜き出し(交通事故(道路)+交通事故(その他))
また、統計上交通事故原因に、自己疾患や疾患別事故量が記録されていないため、その他原因として、その他起因物+起因物+分類不能から引き出した。こちらに疾患などの原因が含まれると考えられる。
(つまり、全てが疾患原因というわけではない。)

 
労働災害での交通事故は6割近くが死亡していることがわかかる。
労働災害と認められた交通事故も多く存在していることがわかる。
 
今回の事案のような疾患が原因ではないかという話は良く聞く問題である。
 
”第3回交通科学シンポジウム(2008・2・15)
国土交通省自動車交通局安全政策課資料より
運転者の疾病により事業用自動車の運転を継続することが出来なくなったもの(平成13
年から17年)を事業者からの報告により調査した結果、30%は死亡し、その病気は①脳
(31%)②心臓(27%)の病気③失神(7%)④その他によるもので、循環器系の病気がほ
とんどである”
 

という話もあるほどで、6年も前から出ている話であることがわかる。

保健上の問題としても、労働災害を減らすことの重要性は、当事者の生涯収入、家族経済の安定性、税収安定、国内経済の安定化を考慮するうえでも非常に重たい。
交通事故で死亡した場合、かなりの損害を起こす。さまざまな経済で影響が出るため、ニュースに取り上げられ、できるだけこのような事態を減らすということは大きな効果を上げる。
その点では誰かを攻め立てるだけでなくこのような現状があるということを理解できるような内容の情報を提供していただきたいものである。

さて、疾患疾患といっているが、交通事故時に起こる(大きな関連がある)と考えられる病気について少し解説をする。

・SAS(睡眠時無呼吸症候群)
寝るときに舌沈下、気道閉塞などがおこり、呼吸が一時的に停止あるいは呼吸情態が悪い状態が続くこと。長時間の集中力が失われやすく、突然の深い眠り、心疾患や脳血管疾患につながることもある。
・虚血性心疾患
心臓の動きが悪くなる疾患で、狭心症やその重篤な症状の心筋梗塞がここに含まれる。急性症状では心臓の動きが一気に悪くなり、強い痛みを伴う。
・心房細動、心室細動
これは疾患ではなく状態のことであるが、原因不明の場合、そのまま病名となることもある。心房や心室が心臓の通常の動きと異なる動きを起こすことで、心臓の本来のポンプ機能が失われる。
・大動脈乖離
大動脈とよばれる心臓から出てすぐにある動脈の壁(多重構造になっている)に血流が入り込み、全体の血圧が下がり、その影響で失神がおこる。拍動とともに広がり、失血死することもある。心臓の壁までもぐると、心臓の動きが阻害されてそのまま死亡してしまう。
・脳血管疾患
脳の血管が破れたり血流がわるくなったり、血栓が詰まったりして起こる。
脳梗塞・脳出血などがここに含まれる。強い痛み、痛みを感じないまま失神することがある。意識がある場合でも言葉が出せない、体の動きが抑制される、体の動きが制御できないなどが突然起こることもある
・深部静脈血栓症
・肺塞栓
この二つは原因と結果のどちらを述べるかで違う。深部静脈血栓症はいわゆるエコノミー症候群で、肺塞栓はエコノミー症候群の最終点である。同じ体勢で居る事で、足や殿部で細かい血栓がおこり、肺で詰まることで、酸素の交換が行いづらくなり、最終的に意識を失うことになる。

自動車を運転する場合はこれらの疾患が起こることが確認されている。エコノミー症候群は、高速道路での巡航を行う場合のみ、ほぼ同じ体勢になることから起こる可能性が考えられる。
最も潜在的に危険であるのはSASで、これは基礎疾患だけでなく、体型や、気道状態、寝るときの体勢などさまざまな要因がかんがえらえるため、基礎疾患によるスクリーニングだけではSASを見つけることは不可能で、眠りが浅い、寝たあとにのどが痛いなどの自覚症状を訴えてもらわないと防ぐことはむずかしい状況である。
ここにあげられている疾患はいわゆるメタボリックシンドロームの延長、生活習慣病の延長にある。特にその中でも高血圧症と動脈硬化は深刻に影響をしていることが考えられる。
動脈硬化や高血圧症がなくても、長時間の運転をしていることで、血栓などを生むリスクがあるのである。長時間の運転ではコーヒーなどのカフェインを取ることが多いが、カフェインによる交感神経の活性化は、尿量を増加させ、心拍増加を促す。つまり一時的に血圧があることを示し、尿量が増えることで血中の水分をうしないやすい状況となる。
ここで注意してほしいのは、カフェインが悪いわけではない。水分補給をすればさらに血圧が上がるだけであるので、適度である必要がある。ここでいいたいのは「長時間の運転をすることそのものがリスク」ということである。
かといって、長時間運転をしなければ運べないもの・人が多い。長時間運転をしなければ困ることのほうが多い。そのリスクを背負っていただいているというのはそれだけの利益を生むためのリスクでありすべての労働におけるリスクと比較しても、背負うリスクとしては重いわけではない。
(もちろん、働く量は自己責任による判定にすがるしかないが)

少し全体的な労働という話まで話が拡大したので話を戻す。

今回の事故ではSASが疑われている。
しかし、SASでは、居眠り運転として記録されてしまうため、事故記録には残らない。ほかの原因もいくつも思い浮かぶのに、どうしてSASであると考えられるのだろうか。
まず、理由のひとつに、年齢が若い。生活習慣病による急性症状が起こる年齢はだいたい40歳代である。心疾患では基本的に1秒近くの猶予があり、ほとんどの心疾患の事例ではブレーキが踏まれる。ただし、失神してしまった場合はブレーキを踏む猶予がない。(特に若い場合は失神することは少ないため)
失神している場合はラッキーなときはブレーキを踏む。最悪はアクセルを踏む。バスや大型トラックなどはデッドマンシステムとして、(巡航中はオートアクセルとなるので、無理だが)踏み込みの圧が抜けるとある程度ブレーキがかかるシステムを導入している(新しい型のみ)
今回の事案では、トラックにぶつかったということだが、ガードレールにぶつかるような蛇行運転があったことを考えると、意識はなかったのだろう。呼びかけに対しての反応がないということは、深い眠りまたは失神、その時点で心停止のいずれかが考えられる。



事故の当該車は、運転手交代を呉羽PAの次の小矢部川SAでおこなおうとしていたということ(記事より)を考えると、休憩中に席を立ったことで、深部静脈にあった血栓が動いて、肺塞栓を起こしたのではないかということも十分に考えられるが、肺塞栓の場合は非常に失神するに至るまでに非常行動を十分に行えることが考えられる。休憩直後に起こった事故ということもあり、関連性は疑ってもよいとおもわれる。
 


裁判となった場合はその辺も絡めた争点があるのだろうと考えられる。

事業者は同様の事故も合わせて、今後個人の健康を業務改善内容に盛り込むことがかんが得られるが、不健康である人を切り捨てるというのではなく、うまく折り合いをつけられるように考慮するだけでも、十分に事故を防ぐことができることを考える必要がある。




最後に、今回亡くなられた方々にご冥福をお祈りすると共に、事故にあわれてしまった方に最良の治療と継続的な支援があることを望みます。







参考にしたニュースサイト

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140304/k10015698101000.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140304/k10015709521000.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140304/k10015700261000.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140303/k10015683491000.html
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140304/dst14030411200011-n1.htm
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201403/20140304_13019.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140303-OYT1T01306.htm
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140304-OYT1T00757.htm?from=popin

労働災害統計
http://anzeninfo.mhlw.go.jp/user/anzen/tok/anst00.htm

e-ヘルスネット
http://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/exercise/s-06-001.html

参考資料
http://wwwtb.mlit.go.jp/kinki/anzen/3jikoboshi/3jikoboshi_4.pdf

バス時刻表
http://www.miyakou.co.jp/cms/uploadfiles/output/50187e55-9788-4ed0-8051-07e8c0a8020e/